2023/06/19 | ペッターの話

ペッターの話

延々と1人でブツブツやってる


※こちらの注意書きを読んでから

読んだ方が良いです。






とうとう火葬の日。

静岡へ行っていて昨夜帰宅が0時だったのに

今朝は6時50分起きだったので

起きられるか心配だったが

やっぱり今日も目覚ましが鳴る前に起きた。


礼服は昨日、親が取りに行ってくれて

実家に置いてもらっていたので

いつも通りの私服で向かう。

ちょうど通勤時間帯だったが

方向が逆なので座って行けた。


実家で着替えて、忘れ物がないか

何度も確認して。

父から預かった手紙と

自分が書いた手紙だけは

何がなんでも忘れられない。

家を出る時、飾ってある弟の写真へ母が

「マーキー、行ってくるね」

と声をかけていたが

むしろ弟を迎えに行くのだから

ちょっと違うんじゃないかなと思った。


安置所へ着くと係の人が

すでに用意を済ませてくれており

母と一緒に火葬までの流れを聞いた。

持っていた副葬品が問題ないか

確認もしてもらい

全て問題ないとのことで安心した。


係の人が棺の扉を開けてくれて

読経前に顔を見られるようにしてくれた。

顔を見られるのも最後か

と思いながら、しっかり見たけれど

既に記憶がぼんやりとして

あまりハッキリしていない。


お坊さんの準備が整い10時。

予定通りに読経が始まった。

隣で母が泣いていたが

私はなんとなく我慢した。


弟が昔、ブリトラのライブで聴いた

ろうそく

という歌を気に入っていたことを思い出した。

葬儀の様子を茶化した

不謹慎極まりない曲なのだが

私もこの曲が好きだった。


10時40分ごろ、読経が終わり

椅子を片付け棺を真ん中に移動させ

蓋が取り外された。


まず、弟の靴。

弟はスニーカーが大好きで

何十足も集めていた。

どれが1番お気に入りか分からないが

母が選んだオレンジの靴は

弟もよく履いていた記憶があるので

喜ぶだろうと思う。

私は左の靴、母は右の靴を持ち

足元へ置いた。


「レットイットビー、かけて」

母から言われた。

最後、棺を閉める前に1分くらい

耳元で聞かせてあげたい、と言われてたので

もう流すのかと驚きながら

事前に渡されていたスマホスタンドへ

スマホを立てかけ

レットイットビーを流してあげた。


伯父が買ってきたギター雑誌が

開いた状態で入れられた。

弟が持っていたプロレス雑誌も

同様に入れられた。

弟が大好きだったキン肉マンⅡ世の漫画も

開いて入れられた。

名前が分からないウルトラマンの人形と

弟の出生時の名前が書かれたミッフィーは

弟の身体の左側に並べて私が入れた。

伯母が探して買ってきてくれた

グレーのネコのマスコット2匹が入れられた。

(弟が飼ってた2匹のネコに少し似ている)

弟がやっていたバンドの

デビュー曲の楽譜が入れられた。

弟の親友から預かった、彼と一緒に作った

CDのジャケットが入れられた。


それからお花をみんなで入れた。

もうその頃には私も母も限界で動けず

係の人がお花のトレーを持ち

少しずつ私たち2人に

お花を手渡してくれた。


母が手紙を入れた。

母の彼氏も従姉妹の双子も手紙を入れた。

私も自分のと父のを並べて入れた。

弟のギターを入れてあげることは無理なので

ギターの写真を入れてあげた。


「最後に入れてあげてください」

と係の人から別途渡された白い花を入れる時

みんなが弟の顔へ触れて声をかけた。

私はみんなが終わるのを待って

1番最後にお花を入れて

左手で右頬にそっと触れた。

冷たかった。

化粧のせいか少しザラっとしていた。

しかしとても柔らかかった。

数秒、手を離すことが出来なかった。


母が弟の顔に触れながら

顔を目いっぱい近づけて

「ごめんね。マーキーごめんね。

気付いてあげられなくてごめんね。

生まれてきてくれてありがとう」

と泣きじゃくりながら声をかけていた。


私も1番最後にもう一度触れた。

じゃあね、と一言だけ声をかけた。

ずっと絶え間なくボロボロと涙が溢れていたし

鼻水も垂れっぱなしだったけれど

何故かこの時だけは自然と笑顔で言えたのが

自分でも不思議だった。


みんなで棺の蓋を閉めて

喪主の母が花束を棺の上に乗せ

棺が会場から出されたタイミングで

レットイットビーがちょうど

2ループして綺麗に終わった。


みんなで棺を車に乗せて

母だけが棺と一緒に火葬場へ

向かう予定だったのだが

「2名様乗れますので

良かったら一緒に乗ってあげてください」

と係の人が声をかけて下さり

私も同乗することになった。

母は助手席だったが

私は弟の棺の真横に座った。

ずっと棺を眺めて触れていた。


火葬場へ着き最後のお別れをする。

さっきまで隣にあった棺が

遠くの窓の中にあり

その棺へ向かってご焼香をした。

母と私と母の彼氏の3人で

棺の後をついて行き

焼却炉の番号確認を行った。13番だった。

ごぉ、という低い音の鳴る暗闇の中へ

弟が入れられて

ゆっくりと扉が閉められた。

手に抱いていた弟の写真に

ボロボロと涙を落としながら

その姿を見送った。

11時20分くらいだったと思う。


1時間待機の間

誰とも話す気にならず

ずっと壁を向いて座った。

父には見送りが終わった連絡をしてあげた。


待機の間、従姉妹の双子がいないと思ったら

どこからか四葉のクローバーを見つけて

戻ってきた。

それを弟の写真と一緒に入れて

4番の収骨室へ向かった。

先程番号確認した3人と

何故か祖父までついてきて

焼却炉の扉が開けられるのを見守った。

赤く燃えるチリチリとした破片の中から

白く粉々になった弟が出てきた。

副葬品はちゃんと全て灰になった。


まず最初に私と母で

1番大きい足の骨を拾って入れた。

母の彼氏と祖父。

伯父と伯母。

従姉妹の双子、の順番で収骨をした。

祖母の収骨は弟と2人でやったなそういえば。


係の人が骨を集めている中で

「こちら喉仏のお骨です」

と教えてくれた。

「少し崩れてしまってますが

仏様のように見えるため

喉仏と言われております。

こちらは1番最後にお入れします」

という説明に対し母が

「崩れてしまっているのは

本人の健康状態とかが原因なんでしょうか」

というような質問をした。すると

「元々崩れやすい骨で

このようにしっかり見つけられないことの方が

多いくらいなんです。

10人いらっしゃったら見つけられるのは

1〜2人くらいでしょうか。

なので、丈夫な身体を

お持ちの方だったのだなぁ

と思いました」

と説明して下さった。


そっかぁ。

アイツ牛乳は嫌いだったけど

コーヒー牛乳はよく飲んでたから

骨が丈夫だったのかもしれないな。


埋葬許可証の説明などを一緒に聞いて

骨壷が母へ渡された。

私は白木の位牌と弟の写真を抱えて

火葬場を後にした。

車の中で骨壷を抱えた母が

「マーキー、抱きかかえるのなんて

小さい頃以来だね」

と声をかけていた。


そのままお寺へ向かい

今度は初七日の法要。

お経をデカい声で読む祖父が隣にいて

しかもデカい声で間違えるので

ちょっと笑いそうになってしまった。

弟も聞いてたら絶対、抱腹絶倒してる。


お弁当のケータリングが届き

14時頃ようやく初めての食事。

挨拶で母は

「まさとの話をしながら

皆さんとお食事できたら幸いです」

と言っていたのに

旧知の中の住職と祖父はずっと自分たちの

病気話とか趣味の話とか

テレビの話とかで盛り上がって

声がデカいので周りで話すこともできず

ただただ苦痛な時間だった。

イライラしてしまい、何度席を立とうと

思ったか分からない。

こういう言い方はバチ当たりだろうが

私はこの住職がどうも好きになれない。


弟はお酒が大好きだったのに

全く減らないビールグラスを見て

なんだか悲しくなった。


母と母の彼氏と私と弟

4人揃って帰宅した。

弟は久々の我が家だ。

早速祭壇を準備してる間に

伯父伯母たちが線香だけあげに来た。

家の中に線香があるなんて変な感じ。

従姉妹の1人は大学へ行かなければならず

来られなかった。

線香をあげに来てくれたもう1人が

弟のネコを見るためにベランダへ出た。

私もサンダルを持ってきて

一緒にベランダへ出た。

1匹は机の上から警戒心ギンギンで

こちらを見ていたが

もう1匹は隠れて見えなかった。


伯父伯母たちが帰ったあと

しばらく母と2人でリビングに座り

無言で祭壇を眺めた。

「自分のベッドに横になってて良いよ」

と言ってもらったので

しばらく横になりながら諸連絡をしたり

ここまでの記録を残しておいた。


昼ご飯が遅かったので

なかなかお腹が減らず

先に風呂を済ませた。

母たちも先に風呂へ入ったので

20時から21時までは

藤岡藤巻のYouTube配信を

観ることができた。

ハリポタオタクとしては

ツッコミどころしかない配信だったが

Twitterの更新も止めてるので

あまりチャットを打つ訳にもいかなかった。

スパチャは、まぁ、義務なので。


母がそうめんと、トマトと

煮卵と、豚野菜炒めを小皿に分けて

弟へお供えした。

「4人揃ってご飯食べるのなんて

いつぶりだろう」

と母が言った。

私の記憶では、恐らく2020年5月の

緊急事態宣言中が最後だと思う。

我が家は食事は各々なので。


夕飯を食べ、母が事務作業を終わらせたあと

お酒をお供えして

「2人で飲むのは初めてかもね」

と言いながら弟とお酒を飲んでいた。

私も、いつか弟と2人で

居酒屋にでも行きたいなぁ

と思ってたんだよなぁ。

私はお酒飲めないけど。


まだ、ふとした瞬間に涙が出る。

食欲も戻ってない。

けど、とりあえず無事に

火葬が終わったことで

なんとなく一区切りついた感じがする。

大変なのは、まだこれからだけど。