私の世代はちょうど
ポケモンと一緒に育っている。
幼稚園の頃に赤緑が発売して
小学校に上がる頃にアニメが始まり
ポケモンを知らない子なんて
いなかったんじゃないか、くらいの認知度。
私は幼稚園年長の時に
ゲームボーイポケットとポケモン緑を
買ってもらったが
父と共用だったので
自由にやらせてもらえなかった記憶がある。
父は会社の人からミュウを出す裏ワザを
教わってメモして帰ってきたりしていた。
ちなみに、弟の赤は母がやっていて
図鑑コンプを達成した。
母がポケモンマスターって笑う。
だから、自分で遊んだのは金からになる。
1番ハマったのはサファイアだった。
以来、一応全部やっている。
しかし、アニメはというと
多分そんなに観ていない。
時間帯的に見せてもらえなかったのかな…。
あまりよく覚えてない。
だけど何故か当時のOP・EDは
全部覚えている。
だから、やっぱ観てたのかもしれない。
小学校高学年になった頃、TSUTAYAで
ポケモンの主題歌ベストを
借りてもらった。
オーキド博士が歌う
「ひゃくごじゅういち」
という曲が大好きで
買ってもらったばかりのラジカセで
何度も何度も聴いた。
私の初恋はオーキド博士、と
普段から言っているが
それこそアニメが始まった頃から
オーキド博士が大好きだった。
オマケコーナーの川柳が楽しみで。
でも曲として1番好きなのは
2個目のOPの「ライバル」
「目指せポケモンマスター」と
対になったような歌詞が
なんとなく好きだった。
母もこの曲が好きで
カラオケで歌うと喜ぶので
毎回歌っていたと思う。
あの当時覚えたポケモンの曲は
今でも歌詞を見ないで歌えてしまう。
歌詞を見ないで、といえばこの世代は
誰もが必死になって
「ポケモン言えるかな?」
を覚えたと思う。
私も当時は全部歌えたけれど
これは流石に2番くらいまでが限度だ。
小学1年生の運動会で、1年生のお遊戯が
「ポケモン言えるかな?」だった。
それぞれの1番好きなポケモンを
画用紙に描いてお面を作り
頭に装備して踊ったのだから
やっぱり全員ポケモン知ってたんだろうな。
途中、それぞれが描いたポケモンになりきって
好きに動くパートもあったはずだ。
ピカチュウやピッピが多い中
私はフシギバナを描いた。
最推しはライチュウなのに
フシギバナを選んだあたり
捻くれ者の片鱗がうかがえる。
初めて他人の声を好きだと思ったのは
コジロウ役の三木さんだった。
最推しはオーキド博士だったけど
アニメを観ていてカッコイイ声だと
感じたのは三木さんだったと思う。
ロケット団の口上はよく弟とそらんじた。
殆ど買ってもらえなかったが
ポケモンカードもハマって集めていた。
対戦も好きだったけど
ファイルに順番通りに並べる方が好きだった。
対戦相手はいつも弟。
弟はカードを持っていないので
デッキを2つ組んで好きな方を選ばせた。
途中でカードの裏面デザインが
変更になってしまい
旧カードと一緒にデッキを組めなくなった為
すっかり萎えてしまった。
映画は連れてってもらえなかった。
水の都とジラーチの時は
多分もう東京に引っ越していたので
祖父が連れてってくれたのだが
ポケモンに興味がない祖父は
隣で最初から最後まで寝ていた。
オーキド博士が最推しなのに
実はセレビィを観ていない。
子供の頃、帽子が好きだったので
遊びに行く時はいつも被っていた。
で、気合いを入れる時は
ツバをグイッと後ろに回す。
サトシがボールを投げる時のように。
ポケモンGOには随分ハマった。
真夏に新宿から東京駅まで
地図も見ずにポケモンだけを追いかけて
歩き通したこともある。
幼い頃からポケモンと共に育った身としては
現実世界とリンクして
ポケモンを探しに行くのが
楽しくて仕方なかった。
休みの日、母から
「どこか出かけるの?」
と聞かれて
「ポケモン捕まえに行ってくる!」
と玄関を出る日が来るとは。
この通りアニメの思い出は
実はあまりないんだけど
最終回のエンディングは涙を堪えた。
最後までオーキド博士役として
石塚運昇さんのお名前が
刻まれて欲しかったとは思うけれど
新しい人も雰囲気を寄せてくれていて
すごく嬉しかった。
オーキド博士はまだこの世界で
元気にやってるけれど
それも今日で最後なのかぁ。
当たり前のようにいたキャラクター達と
お別れするのはやっぱり寂しい。
それでも、ポケモンが終わる訳ではない。
私のポケモン人生はまだまだ続く。
続くったら続く。