昨年のピティナコンクール本選。
C級本選に2回目の出場です。
いつもは練習にのめり込む息子ですが、学校もピアノもしんどい日々が続き、当日朝を迎えました。
弾けていない(弾けない曲ではないのですが)のは、自分自身がよくわかっており、「弾けていないしコンクールに行きたくない」と部屋に閉じこもっていました。
わたしたちももうこれ以上無理をさせないでおこうとあきらめていましたが、
「やっぱり、京都のじぃじに会いたいからコンクールに行く」となりました。
時間はぎりぎりになっており、ピアノには一度も触れず西宮から京都山科に向かうことになりました。
ホール(京都市東部文化会館)にはJR山科駅からタクシーで向かいました。はじめて降りた駅で、ホールももちろんはじめてです。
京都らしいホールで、今振り返っても夢の中で過ごした時間のように感じています。
息子にとっては、弾けていないのに審査員の先生方、お客様の前で弾くのは、つらい時間だったと思いますが、こどもは自分でどこかに行く方法もなく、京都のじぃじに会うためには、コンクールに参加しなくてはと考え、本人なりに頑張ったのだと思います。
それまでも気分が乗らないときには「コンクールが終わったらusjに行こうよ!」などテンションを高めようとしていましたが、コンクールが終わったら、京都で入院をしている義父に会いたいと以前から話をしていました。
コンクールが終わり、山科の駅前で軽く食事をして、京阪電鉄でのどかな電車に揺られ、時間をかけて太秦天神川駅まで到着。そこからはタクシーで右京区の病院までお見舞いに伺いました。数週間前にもお見舞いに行き、息子のピアノの動画を聴いてもらったり「また来てな」とこどもたちに優しいお言葉をいただいたばかりでしたので、いつも通りにお見舞いに伺いました。
病院に着き、部屋の前まで行くと、看護師さんたちが数名いらっしゃり何か急いで対応をされていて
「少しお待ちください」と部屋に入ることはできませんでした。何分か後、義父の調子も戻ったようで、会うことができましたが息が苦しそうで、意識も薄く、息子も心配そうに声をかけます。
容態も落ち着いたようで、「また来るね」と心配ながらも病院をあとにしました。
「コンクール頑張ったからじぃじに会えてよかった」と息子はじぃじに会えてよかったたと何度も何度も繰り返していたのが忘れられません。コンクール頑張ったし、梅田にレゴを買いに行こうと阪急電車で梅田まで行き、好きなLEGOも買い、西宮の自宅に帰ろうとしたところ、夫のもとに病院から電話が入り、また夫のみ京都の病院に戻ることになりました。
そして、夫は父との最後の時間を過ごすことが
できましたが、ピティナコンクール本選当日に義父は亡くなりました。
息子や夫が京都に来ることを待っていてくれた義父。ありがとうございます。
今年のピティナコンクールももう時期です。
レッスンに行けない、弾けない時期も見守ってくださり寄り添ってくださった先生方に感謝を忘れず、乗り越えた息子を応援していきます。
義父もいつも応援してくれたり、こどもたちに優しい言葉をかけてくれました。
音楽はいつもそばにいてくれる。




























