新婚生活の実態について話します。

書きながら涙出てきたり。

あまりにも滑稽で笑ってしまっています。

 

いやいや、滑稽すぎます、これはもう漫画です。

 

 

 

男性とのおつきあいのなかった天然記念物のワタシにとっては。

 

おつきあいする男性がいるだけで楽しかったのは事実です。

孤独な下宿生活から抜け出して寂しくなくなり、うれしかったのは事実です。

 

 

当時のほとんどの方が「嫁入り道具」をどっさり持って結婚した時代ですけど。

合理主義の私は、ズボン2着を新調しただけでした。

 

 

当時から世間体や世間の慣習をまったく無視できる私の根性は、

 

すごいものがありました。

 

 

ズボンを新調した理由は、夫の移動手段が50ccバイクだったから。

庶民はまだ車を持っていない時代でした。

夫のバイクの後ろに乗って移動していました。

 

山男だったので、北アルプス縦走などにも連れていってもらいました。

山ガールだったんです。

 

そういうのは全部、楽しかったんですけどねえ。

 

でも新婚の一夜、二夜のエピソードを書いたら。

多分、聞いた方は「なんで我慢するの?」って思うかも。

 

時代です、時代!

(根性のない私×時代) ですよ。

 

さて!

ジャン!! 新婚初夜

 

ホテルに一泊しました。

ロマンチックな夜が待っていると当然信じていました。

 

ところが・・・・・・・・

 

結婚式おつかれさま。

まずはお風呂でゆっくりしましょうか。

 

身体を洗っていた私は。

夫から突然、有無を言わさないレイプを受けたんです。

 

くわしく話したくないです。レイプって言えばわかりますよね。

 

いくら男性音痴の私でも、それが思いやりのない行為だっていうくらいは

わかりますよ。

 

大変なショックを受けてしまいました。ガーンえーんショボーン

 

今から思えば、夫は「気持ち」「思いやり」「想像したり共感する」

 

そういうものがいっさい欠如している

人だったんですよね。

 

好きなこと(登山、音楽、仕事)には生き生きとしていましたけどね。

 

 

私はその行為に、大変なショックを受けてしまいました。

 

ショック受けるのは正常だ、あー良かったわぁ、私の感覚は普通だと思います。

 

で、私はそこから翌日一日、大変に憂うつで不機嫌でした。

だって、気持ちが上がらないんです、ショックのあまり。

 

それに対して、夫は「不機嫌なハナ子もかわいい」とかいって、私の大写しの写真を

撮り続けたんですよね。

 

 

ゼロ %もわかってくれないその行為にも、大変失望しました。

 

それでも気をとりなおして、帰途に就きました。

夜になっていました。

 

玄関の前でちょっと止まって。

 

「お義母さんがいるから気が重い」ってすねたんです、かわいらしく。

義母と同居でしたから。

 

 

夫は多分、戸惑ったと思います。

 

しばらく私を見ていたかと思うと。

 

 

突然、私の顔に平手打ちをくらわせたんですよね煽り

 

これね。心傷つけられるよりかは覚えていないんですよね。

こころの傷のほうが大きいですね。

 

 

そして何事もなかったように、家に入りました。

義母さんが温かく迎えてくれたはずです(覚えていません)

 

 

そしてそして。

 

そして新婚二日目の夕方のことです。

 

私はいそいそと夕食を作りました (^^♪ 心はピンクですラブ

 

私は料理が得意で。お義母さんは洋裁が得意だったので、

家事の分担をしたんです。

 

美味しい料理が作れて。。。。。さあ、三人で食べよっか!

 

これ書いてたら、悲しいやら笑えるやら。。。。。よく覚えてますねえ。

 

でもね。信頼するある方から。

 

書いてみな!って言われちゃったんです、本邦初公開。

こういう時代も、そういう新婚さんもいたということで(笑)

 

国立大学医学部に現役で受かり、最優等生で卒業した私が。

 

このふがいなさといったら・もう漫画です。

 

さて、夕食が出来て、夫を呼びに行きました。

別室でギターを弾いていました。

 

「ねえ、ご飯できたわよ、飛び切り美味しいから!」

 

無言。。。。。。。「食べん」

 

「なんで食べないの?」

 

「今は腹すかんから」

 

「えっ? だってもう7時でしょ? 今食べなくていつ食べるの?」

 

「腹すかんから今は食べん」

 

ギターの手は緩めません。

 

困り果てた私は、義母に助けを求めにいきました。

義母のいうことは聞いてくれるかな。

 

義母が勧めても、全然動く気配なし。

 

 

さすが新婚二夜でしょ? 

義母だって「こりゃマズイ」と思ったでしょう。

 

いやいや、多分マズイと思ってないですね。

思ってたら、こんな男に育っていませんね。

男の部分の半分は母親が作りますからねっ!!(感嘆詞・たっくさん、つけてやる!)

 

しつこく勧めていました。

でも、全然効果なし。

 

これでも人間?

人間じゃないですよね、もう。

 

そして・・・・・・・・・・・・どうなったか・・・・・・・

 

 

義母は力づくを使い始めました。

 

そしてどうなったか・・・・・・・・

 

ふたりで取っ組みあいが始まったんです。

 

唖然として眺めていましたが。

 

 

拉致があきそうにないと思った私は言いました。

 

「お母さん、食べたくないんなら仕方ないじゃないですか。ふたりでたべまっしょうか」

 

あーなんと出来た嫁さんだこと!

 

私はそもそも動じないし、辛抱強いし、心が広いんです(自分で言うか! 嘘です、小心です(笑)

 

 

 

つぎの義母さんの言葉も、55年たった今でも忘れません。

 

「あら、ハナ子さん。私は夫より先に食べたことはありませんよ」

 

だったんです。

 

一体、どーしろって言うの?

 

 

その後は覚えていません。

でも私はいつも観察し、現状を受けとめ、その場に合わせていく人間なんです。

それが良いかどうかは別としてね。

 

辛抱することを叩きこまれて育った私は、これからどうやって生きていったらいいの?って感じですね。

 

その後も「風呂入ってよ」「今は入らん!」で夫と義母はそのたびに取っ組み合いの喧嘩を繰り返していました。

 

ア――――今突然思い出したことがあります。

 

取っ組みあいの喧嘩をする義母に私はずっと軽い嫉妬心を抱いていたと思います。

 

三角関係で始まった新婚生活で、私を悩ましたのは、その嫉妬心でした。

 

 

嫉妬心が克服できたのは、結婚8年目。

 

 

 

話が嫉妬心のほうに反れましたが。

 

 

余計なことですけど。こんなこともありました。

 

新婚まもなく、遠くから大親友が遊びに来てくれて、泊まっていきました。

 

翌日の夕方、私が夕食の支度をしている時に、夫が帰宅。

キッチンにいた私に変わって、友人が玄関に行ってくれました。

 

それを見た途端、夫はきびすを返して出ていってしまったんです。

気にいらなかったんでしょうね。

そしてその友人が帰っていった後。

夫が玄関に「塩をまいた」んです。

 

 

これにも本当に傷ついてしまいました。

 

こころの傷って見えないけど、本当はそのほうがつらい気がします。

 

 

夫は今でいう「発達障害」の持ち主だったんでしょうね。

でもその頃はそんなこと、わかりませんからね。

 

 

結婚初日から丸一年間。

私たちは夫婦喧嘩のオンパレードでした。

夫の不可解な言動。思いやりのなさ。にあきれ果てた私は。

「なぜ?」「どうして?」と夫との話し合い=夫婦喧嘩ですけど、を繰り返しました。

怒涛の一年でした。

 

 

こころのうんと広い忍耐強い私も、努力と抵抗は続けていたと思います。

 

一年たったころ。

 

私は喧嘩することに疲れはててしまっていました。

夫を変えることはまったくできなかったです。

 

そして一年目のその時、新しいイノチを授かりました。

私は夫どころではなく、仕事と子育てに100%全力投入。

 

夫のことはすっかりあきらめて、子育てに没頭することになります。

 

子どものいる家庭生活はしあわせでした歩く立ち上がる照れ