夫のブログにも掲載していますが、

施主としてここに改めてご報告させて頂きます。

 

夫の一周忌当日 2024年1月27日(土)に 

浄土真宗本願寺派津村別院(北御堂)津村ホール(大阪市)にて開催された

藤井修 一周忌と第1回追悼演奏会、お陰様で無事に終えることが出来ました。

 

実は、

会は無事に終わったものの、

裏方での出来事で私が鬱を発症してしまっていました…。

 

夫が亡くなってから、いや、

正確にはその1年前、夫がアルツハイマーを発症してから、

正直ずっと鬱気味ではあったのですが…。

 

 

それはともかく、

昨年の葬儀にはどなたもお呼びすることが出来ませんでしたが、

一周忌当日は、約70名の方々にお集まり頂き、大勢の方々と夫を偲び、

夫の作品を聴いて頂け、まずはほっとしています。

 

 

当日は、法要と演奏会が同時に開催できるようステージをセッティング。

 

 

 

開始の合図は、阪口裕子さんオルガンで。

会場には開始の合図のベルなどはありませんでしたので、

阪口さんがわざわざこの日のために追悼の会の開始にふさわしい

E♭メジャーの柔らかな短い曲を作って下さり

チャイムの音色で奏でて下さいました。

 


 

まずは、私のご挨拶の後、

この会の開催にご尽力下さいました僧侶の宰務清子さんによる法要、そして法話

 

 

 

 

宰務さんは、是非この機会にお経の意味を知って頂き、

お集まりいただいた皆様にもご一緒にお経を唱えて頂きたいと、

この法要の為にわざわざ皆様に冊子を作ってお配り下さり、

心に染みるお話をして下さいました。

 

 

 

 

そして、休憩に入る前に、

約40年前、夫が中国で演奏した時の映像をご覧頂きました。

 

 

40年程前、藤井は親友の吉市幹雄氏と共に、就実高校吹奏楽部(岡山)を指導し、

吹奏楽コンクール全国大会金賞等の好成績に導いたことから、

1983年、就実高校が中国で演奏の招待を受け、藤井も特別顧問として同行し、

日中国交正常化後初となる学生交流として、北京と上海で演奏しましたが、

その時の貴重な映像です。

 

そして、

休憩の後は、藤井の作品による演奏会

 

まずは、夫がアルツハイマー型認知症を発症し、精神病院の中で最初に作った作品、

自身で作詩作曲した「愛のうた」を、

ソプラノ歌手の田代睦美さんに歌って頂きました。

 

 

同じく、精神病院の中で作詩作曲した「小さな花のうた」

田代睦美さんに歌って頂きました。

 

 

2005年と2006年、ライトアップされた大阪城を舞台に公演された

オペラ「千姫」のメインテーマ、「千姫のアリア」

今回は、法要を執り行って下さった宰務清子さんのオーボエで演奏して頂きました。

 

 

 

オーボエも演奏できる僧侶の宰務さん、素敵です。

 

藤井の母が生前書き残した俳句による歌曲、「母の歌」

オペラ「千姫」で、徳川家康役を演じたバリトン歌手の萩原寛明さん

中村友美さんのピアノ伴奏で歌って頂きました。

 

 

吉原文音さんの俳句による歌曲、「パリの歌」も演奏して頂きました。

吉原文音さんのお誕生日と、夫が亡くなった日が同じ日というのも大変奇遇ですが、

吉原さんの思いとこの曲が出来た経緯についても会場で紹介させて頂きました。

 

 

1999年、中宮寺の菩薩像から着想を得て作られた「微笑みの時」

この作品は、当時ドイツにいたトロンボーン奏者 

山本正章氏に初演してもらうことになってましたが、

山本氏がお亡くなりになり、初演されないままになっておりました。

夫が亡くなる前、「松下浩之さんに初演してもらえないか聞いてみる」と

楽譜を準備したまま亡くなりました。

そのことを、松下浩之さんにお伝えしたところ、演奏をご快諾下さいました。

元は、独奏トロンボーンと弦楽オーケストラの作品ですが、

今回は星山智子さんのピアノ伴奏で演奏して頂きました。

 

 

 

映像でご紹介した中国演奏旅行の帰りの飛行機の中で

作られた作品、「夕映え」

曲が作られた経緯について夫本人が語っていた音声が残されておりましたので、

会場では音声も流しました。

元々は、ハープとフルートの為に書かれましたが、

今回は、新保江美さんのフルート、斎藤建寛さんのチェロ、細見理恵さんのピアノで

演奏して頂きました。

 

 

2000年、ドレミ楽器(赤穂市)の講師コンサートの為に書かれた作品。

子供達や一般の方々にも楽しんでもらえるようにと、

童謡「赤い靴」をアルゼンチンにちなんで

タンゴ→ワルツ→ミロンガ→ピアソラ風に

繰り広げられるアレンジになっている「赤い靴 アラ・アルゼンチン」

阪口裕子さんの電子オルガン、

川上浩初さんのドラム・パーカッションと共に演奏。

 

この曲を弾く度、

童謡をこんな楽曲にしてしまう夫の凄さを思うと、

惜し過ぎてまた泣いてしまうこともよくありました。

 

 

フィナーレは、会場の皆様全員で「愛のうた」を。

 

 

 

会場では、夫の作品の楽譜の他に、ドラムのスティックや打楽器等の夫の遺品も販売いました。

売上金は、後の追悼演奏会開催に充てられます。

 

 

当日配られたプログラムを兼ねた冊子と

宰務さんが作って下さったお経の冊子。

 

 

最後は出演者の方々と。

 

 

悲しみも癒えず、正直ピアノを弾く気にもなれないこともありましたが、

合わせ練習しなきゃ!と自分を奮い立たせて

加古川の宰務さんや田代さん、赤穂の阪口さん、

十三の川上先生の所に通ったり…

色々なことが思い出されます。

 

皆様、有難うございました。

 

 

 

尚、公表できておりませんでいた

夫の亡くなるまでの経緯につきましては、

ご挨拶でも申し上げました通り、

今後一切私の口から言わないことに致しました。

 

その代わり、本を書きました。

3月に販売予定です。

 

 

 

会の開催のために

お力を貸して下さった皆様、

会場を提供して下さいました北御堂、

そして、わざわざお集まり下さった方々、

誠に有難うございました。

 

葬儀が寂しいものだっただけに、

こうして皆様と共に夫を偲ぶことが出来ましたこと、

大変感謝しています。

 

 

…ただ、

何とかやり遂げたかったこの一周忌法要と第1回追悼演奏会

 

会そのものを実現出来たこと自体は嬉しいのですが、

正直、様々な複雑な思いがあります。

 

とにかく、

これは夫の作品を後世に残すための第一歩に過ぎません。

 

私の精神状態も中途半端ですが、

配偶者の死から立ち直るのには平均4年がかかるとのこと、

気長に様子を見ながら、

毎日瞑想して、ただただ夫のピアノ曲の練習をしていきます。