かまやつ ひろし, New York City adventure 2007

かまやつ ひろし / ムッシュかまやつ(本名:釜萢 弘(かまやつ ひろし)、1939年1月12日 - 2017年3月1日[1])は、日本のミュージシャン。通称「ムッシュ」。「ザ・スパイダース」の元メンバーでもある。1989年以降は、ミュージシャンとしては「ムッシュかまやつ」が正式な活動名である。東京都出身。血液型はB型。
父は、日本に初めてジャズを紹介し広めた、日本ジャズ界の草分け的存在であるジャズシンガーのティーブ・釜萢。長男のTAROかまやつこと、かまやつ太郎はアーティスト。ジャズシンガーの浅田陽子は母方の叔母、ジャズ・トランペッターの森山久は義理の叔父(浅田の夫)。フォーク歌手の森山良子は従妹、元歌手の森山奈歩(おぎやはぎの小木博明の妻)は従姪、シンガーソングライターの森山直太朗は従甥にあたる。

経歴[編集]
デビュー[編集]
ジャズ・ミュージシャンの父ティーブ・釜萢の影響で幼少時から音楽に親しむ。青山学院中等部卒業、青山学院高等部時代にカントリー&ウェスタン歌手としてデビュー[2]。青山学院高等部卒業。青山学院大学内部推薦。
ミッキー・カーチスらと共にロカビリーや歌謡曲などもこなし、「ワゴンマスター」「サンダーバード」「キャノンボール」などのグループの一員として日劇ウェスタンカーニバルに出演。テイチクレコードにてレコードも多数吹き込む。また、かまやつは田辺靖雄を中心にした六本木野獣会のメンバーだった。メンバーには峰岸徹、中尾彬、大原麗子、小川知子、井上順、福澤幸雄らがいた。多い時は、最大30人前後で構成された。野獣会といってもワイルドな集団ではなく、富裕層の子女が多かった。
釜萢ヒロシ名義で『檻の中の野郎たち』(東宝映画)に出演したこともある[3]。
様々な盛場へ出向くことや、ロカビリー歌手時代の映画出演の際の東宝や日活の撮影所での交流などで、時代に名を残すスター達と出会う。これらの活動から、松村雄策はかまやつを日本初のロック・ミュージシャンと位置づけている。
ザ・スパイダース[編集]
「ザ・スパイダース」にゲストボーカルで参加した後、正式メンバーとしてヴォーカル及びリズムギターを担当、代表曲である「あの時君は若かった」「いつまでもどこまでも」「バン・バン・バン」「ノー・ノー・ボーイ」「フリフリ」「なんとなくなんとなく」などを作曲した。
当時は遅刻魔として有名で(晩年も)、デビューシングル『フリフリ』のジャケットには撮影に遅刻したため、彼の姿は写っていない。また、堺正章は「ある時かまやつの遅刻に気付いてアパートに電話をかけたところ、出た相手に『かまやつさんは出発しました』と言われたが、電話を切った後でその相手こそがかまやつだったと気付いた」というエピソードを語っている。
他にも印象的なステージダンスやステージの服装関連といった、ザ・スパイダースの音楽的なアイディアマンとしてグループの中心人物となった。また、当時のトップドライバーの福澤幸雄や式場壮吉らと親交があり、ファッションリーダー的存在であった。
ソロ活動(1970年以降)[編集]
1970年2月25日に初の本格的なソロ・アルバム「ムッシュー/かまやつひろしの世界」を発売する。このアルバムは、当時世界的にも珍しかった「一人多重録音」という画期的な方法で制作された[注 1]。また、音楽的にも様々なジャンルを融合した実験的な作品であった。その反面、1970年4月に発売されたソロシングル「どうにかなるさ」は、元々ザ・タイガースの岸部修三(現・一徳)と岸部シロー兄弟のデュオアルバム「Sally & Shiro」のために書き下ろされた曲のセルフカバーだったが、カントリーシンガーとしてのルーツに回帰する意向も反映された。1970年代初頭のフォークブームに触発され[4]、主導権を奪ったフォークシンガーの吉田拓郎に接近し[4][5]、吉田作品の「シンシア」[6][7]、「我が良き友よ」などを歌う[2][4][8][9]。「我が良き友よ」は90万枚を超えるセールスを記録し代表曲とした[5][8][10]。1975年のフォーライフ・レコード設立の際も参加を希望したが、契約の問題などで参加できなかった[4]。また「ウォッカ・コリンズ」へのゲスト出演や、タワー・オブ・パワーが演奏を務めた「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」を発表[注 2]。テレビアニメ作品「はじめ人間ギャートルズ」のエンディングテーマとなった「やつらの足音のバラード」[注 3]もよく知られ、1994年に小泉今日子、2004年にはスガシカオによってカバーされている。
空虚なヒット歌手の座に居心地の悪さを感じたかまやつは、70年代後半からはライブを中心としたマイペースな活動を展開した[5]。フュージョン、シティ・ポップ、ニュー・ウェーヴ等、音楽のトレンドに敏感に反応したアルバムも数枚リリース[5]。80年代以降は、若い世代のミュージシャンたちとコラボ企画で交流を深めていった[5]。当時の音楽活動について「1975年ころから僕自身、ポップ・シーンに手がつけられなくなって探ってました。レコードが出せるようになるまで10年かかりました」と述べている[4]。
音楽活動の傍ら、テレビドラマ『時間ですよ』や映画『戦国自衛隊』といった映像作品にも出演している。1977年2月、朝日放送『ハロー・ヤング』の司会を務め、これに出場したレイジーの才能を見出してデビューの誘いをかけた。その後、デビューしたレイジーに楽曲提供もしている。しかし、本来ハードロック志向だったレイジーが所属事務所の意向でベイ・シティ・ローラーズの様なアイドル路線でデビューさせられたことは予想外だったようで、後に「レイジーをあのような形でデビューさせたことを後悔している」と語っている[11]。
1990年代初頭のアシッド・ジャズブームで、前述した「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」が再評価され、1994年にバックミュージシャンにブラン・ニュー・ヘヴィーズ、ジェームス・テイラー、D.C.リーなどを起用してロンドンでレコーディングした「Gauloise」を、小山田圭吾が主宰するレコードレーベル・トラットリアから発表する。このアルバムで新たに若い層のリスナーを獲得し、その後もCORNELIUS(コーネリアス)、カヒミ・カリイのアルバムやコンサートに参加する。
2002年には小西康陽プロデュースのアルバム「我が名はムッシュ」を発売する。松任谷由実、小山田圭吾、ミッキー・カーチスなどがコメントを寄せたり、堺正章との共演曲などが話題を呼んだ。
バンド活動[編集]
1986年に日本を代表するスタジオ・ミュージシャン達を集めたバンド「One Night Stand Brothers」(ギター:今剛、ベース:高水健司、ドラム:島村英二、キーボード:小島良喜、ボーカル・ギター:ムッシュかまやつ)を結成したり、アラン・メリル(ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ「I Love Rock'n'Roll」の作者として知られる)、大口ひろし、ルイズルイス加部と結成した「ウォッカ・コリンズ」(Vodka Collins) の活動もある。 そして、1999年には堺正章と井上堯之とともに「ソン・フィルトル」を結成し、シングル「Yei Yei」をリリースした。
最近では、2006年頃からザ・ブルーズパワーへの客演を行っていたが、2009年9月2日に発売されたブルーズ・ザ・ブッチャー(ザ・ブルーズパワーの後身バンド、メンバーは永井ホトケ隆、沼澤尚、中條卓、KOTEZ)の「Rockin' with Monsieur」に参加し、ブルースやブリティッシュビートのカバーを手掛けている。
晩年の活動[編集]
BS朝日にて「SHAKE THE MUSIC」(現在終了)のMCを担当していたほか、多数の音楽番組やCMに出演している。最近は東京ヤクルトスワローズの青木宣親の応援歌に「バン・バン・バン」が使われていた[注 4](2006年度から変更)ほか、北海道日本ハムファイターズの応援団が同チームの得点時にかまやつ作曲の「I'm A 北海道 Man(お〜い、北海道)」(オリジナルは三橋美智也)を演奏している。
とある番組で「ボクは、君たち(若い)世代と話が出来なくなったらおしまい」と言っていたことからも窺えるが、常に音楽界の時代の波に乗りながら、あらゆるジャンルの若手ミュージシャンとも積極的に共演し、松任谷由実、伊藤銀次、THE ALFEE、Char、小西康陽、小山田圭吾、カヒミ・カリィ、曽我部恵一など、世代もジャンルも超えた多くの日本人ミュージシャン達から大きな尊敬を受けていた。
2009年2月18日には、井上順、今井美樹、甲斐名都、堺正章、THE ALFEE、TAROかまやつ、トータス松本、秦基博、一青窈、布袋寅泰、Micro、森山直太朗、森山良子などのゲスト・ミュージシャンとのコラボレイトによるアニバーサリー・アルバム「1939〜MONSIEUR(サンキュー ムッシュ)」を発表した。
2013年以降は、KenKen、山岸竜之介とのユニット LIFE IS GROOVE としての活動もある[12]。
2016年9月6日、9月10日に出演予定だったイベントを欠席と肝臓がんであることが所属事務所から発表された[13]。
10月に退院後、同年12月8日には、堺正章の70歳記念ライブに訪れた[14]。当初は客席後方で観ていたが、堺の呼びかけに応じて登壇。堺と2人で『サマー・ガール』を歌った。がん公表後初の公の場での姿であったが、同時にこれがかまやつ自身最後の公の場での歌唱となった。
2017年3月1日18時5分、膵癌のため東京都内の病院で死去[15]。78歳没。 妻も同年2月に亡くなっており、かまやつは最期まで知らないままだったという。なお、妻の告別式の時点で意識混濁状態だった。
エピソード[編集]

この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2010年10月)
後年はエルメスのニット帽をかぶることが多く、彼のトレードマークであった。
サインと一緒に簡単な似顔絵を書いている。
ザ・スパイダース時代、ビートルズ日本公演の際、前座としての出演を打診されたが、前座出演をするとコンサート自体が見られなくなるため、「PRとしておいしい話ではあったが辞退し、他の何人かのメンバーと共に客席からコンサートを観た」との逸話をテレビの特番で語っている。
ウォッカ・コリンズのリード・シンガー・ソングライター、アラン・メリル、同バンド・ドラマー大口広司や、作詞家の安井かずみらとともにレストラン『キャンティ』常連組の一人であった。
アラン・メリルとは1960年代後期以来の親友であり、ウォッカ・コリンズ後の近年(2015)もアランの来日ライヴに参加している。又、2007年のニューヨーク市のアラン宅での大変カジュアルな共同セッションが伺える。[1]
吉田拓郎は『LOVE LOVEあいしてる』で、「我が良き友よ」のギターを「変なコードを弾く…」と本人の前でコメントしている。実際、その箇所のコードは通常のコード譜に沿ったものではなく、テンションコードや自身の手癖で作ったコードなどで弾いていることが多い。『Char meets ???? 〜TALKING GUITARS〜』に出演した際も、響きとしての「コード感を大事にしている」という発言がある。
カーマニアとしても知られており、これまでにMGTFやGMC・タイフーン、ミニ・カントリーマン(森山良子、森山直太朗に受け継がれる)、フェラーリ280、クライスラー・PTクルーザー・コンバーチブルなど数々の個性ある名車を乗りこなしてきた。最近の愛車はランチア・イプシロンであったが、「おぎやはぎの愛車遍歴」に出演するためアバルト695トリビュートフェラーリに乗り換えた。なお、このカーマニアの趣味は息子のTAROにも引き継がれているとのこと。
ツイッギーが所有していたミニに乗っていたこともあったが、トラブル続きですぐに手放した[16]。
1969年2月12日に不慮の事故死を遂げたレーシングドライバーの福澤幸雄とは親友であり、福澤を偲んだ「ソー・ロング・サチオ」という曲を作り、歌っている。また、同じく親友であった赤木圭一郎の死因となった1961年2月14日の日活撮影所での激突事故現場に居合わせている[17]。
1989年のベルリンの壁が崩壊する間際に、壁の上に立ってアコースティックギターを手にゲリラライブを行なったことがある。
京丹後市のイベントフェスタ飛天では、当時人気のあったヒロシを真似して「ヒロシです」と言った。
愛煙のタバコは楽曲にもある通りゴロワーズ。
2009年、TBSのテレビ番組「はなまるマーケット」に出演した際、おすすめのバンドとして「ZAZEN BOYS」を紹介した。「僕の惹かれる音魂を持っている人達なんだよね」[18]。
家系、縁戚[編集]
父はジャズシンガーのティーブ・釜萢。長男のTAROかまやつことかまやつ太郎は、フジテレビ勤務のサラリーマン時代に、2005年5月25日に『風のわだち』でメジャーデビューしたアーティストであり、2011年に退職した後はより本格的に音楽活動を行っている。また、叔母(母の妹)はジャズシンガーの浅田陽子。浅田陽子の夫で義理の叔父が、ジャズトランペッターの森山久。従妹はフォーク歌手の森山良子。従姪は元歌手の森山奈歩(おぎやはぎの小木博明の妻)、従甥はシンガーソングライターの森山直太朗という芸能一家である。
ティーブ・釜萢 - 父。ミュージシャン。
TAROかまやつ - 長男。ミュージシャン。
森山良子 - 従妹。フォーク歌手。
森山奈歩 - 従姪。元歌手。
森山直太朗 - 従甥。シンガーソングライター。
作品[編集]
シングル[編集]
<テイチク時代/かまやつヒロシ名義>
殺し屋のテーマ/皆殺しの歌(1960年2月)
おおキャロル/恋の片道切符(1960年3月)
悲しいインディアン/悲しき16才(1960年5月)
カラーに口紅/朝日のようにさわやかに(1960年7月)
月影のナポリ/ティーンエイジ・ブギ(1960年9月)
赤鼻のトナカイ/サンタ・クロースがやってくる(1960年10月)
結婚してチョ/殺したいほど好きなんだ(1960年12月)
遥かなるアラモ/恋の汽車ポッポ(1961年1月)
凸凹ブルース/こんがらがっちゃった(1961年2月)
消えゆくインディアン/オー・オー・ロジー(1961年2月)
G.I.ブルース/ウッド・イル・ハート(1961年2月)
チョイチョイ節/誘惑してミナ(1961年2月)
青春突撃一中隊/ヨサホイ数え歌(1961年4月)
マージャン必勝法/清水港の三太郎(1961年7月)
ぶらぶら天国/ズンドコ人生(1961年7月)
弥次さん喜多さん(duet 夏洋一)/東京の雨(夏洋一)(1961年10月)
どなたでござんす/江戸っ子風来坊(1961年9月)
嘆きのブルース/かえり船(1961年9月)
裏町上等兵/ファイア囲んで(1961年10月)
<スパイダーズ以降ソロ時代>
どうにかなるさ/つめたい部屋のブルース(1970年4月5日)※オリコン50位
気らくなものさ/脱走列車(1971年5月)
四つ葉のクローバー/喫茶店で聞いた会話(1971年11月)※A面コーラスにガロが参加。
のんびりいくさ/ブレイン・フード・ママ(頭の体操)(1972年6月)B面英語詞。
青春挽歌/幼きものの手をひいて(1972年11月)
人生は旅だよ/乱れたら(1973年6月)
近頃のネコ/乱れたら(1973年10月21日)
シンシア/竜飛崎(1974年7月)よしだたくろうとかまやつひろし名義
我が良き友よ/ゴロワーズを吸ったことがあるかい(1975年2月)※オリコン1位
海のうた [沖縄海洋博覧会住友館イメージソング]
水無し川/親父よ(1975年11月)
汽笛一声夕陽が沈む/三人組(1976年5月)
サテンドレスのセブンティーン/サマー・ラブ・アゲイン(1977年6月25日)
つづけ青春たちよ/ありの大統領(1977年10月21日)※TBS系「まんが 偉人物語」テーマ
マイ・オールド・ギブソン/12時の賛歌(1978年5月)
青春どんづまり/あの時君は若かった(1978年10月)
時を呼び停めて(1980年6月1日)※森山良子 かまやつひろし名義
旅の歌/また逢う日まで(1981年2月)
あの時君は若かった/ノー・ノー・ボーイ(1981年11月)
なんとなくソクラテス/モノラル・グラフィティー(1982年9月)
エリマキトカゲの真実/襟巻きと影(1984年6月)
ゴロワーズを吸ったことがあるかい/我が良き友よ(1985年5月10日)
ワンナイト・スタンド・ブラザース/欠陥BOY × 欠陥GIRL(1986年9月5日)
ノー・ノー・ボーイ/ノー・ノー・ボーイ(リプリーズversion)(1988年6月21日)
キスの下手な男/Bitter For My Taste(1989年9月21日)
すてきな僕ら/BLUEでできた僕たちの楽園(1990年12月21日)
雨の小径で恋をして/Kの週末(1991年5月21日)
やつらの足音のバラード/ALLORA…(1994年9月2日)
ノー・ノー・ボーイ/ヒノエ・ウマ・ノ・オンナ(2000年9月21日)※マーク・キャス with かまやつひろし名義
アルバム[編集]
<テイチク時代/かまやつヒロシ名義>
かまやつヒロシの俺の歌を聞いてくれ(1960年)
<スパイダーズ以降ソロ時代>
ムッシュー/かまやつひろしの世界(1970年)TEICHIKU
どうにかなるさ アルバムNo.2(1971年)PHILIPS
ファーザー&マッド・サン (1971年)※ティーブ釜萢との競演盤
釜田質店 (1973年)VERTIGO
あゝ我が良き友よ(1975年)Express
ムッシュ・ファースト・ライヴ (1978年)TRIO
WALK AGAIN (1978年)TRIO
スタジオ・ムッシュ(1979年)TRIO
パイナップルの彼方へ(1979年)TRIO
ONE NIGHT STAND BROTHERS(1986年)What's Up? Group ※2003年に発売。※ムッシュかまやつ ONE NIGHT STAND BROTHERS 名義
THE SPIDERS COVER'S (1989年) フォーライフミュージックエンタテインメント
In and Out(1990年) フォーライフミュージックエンタテインメント
Fragrance(1991年) フォーライフミュージックエンタテインメント
pittoresque(1991年) フォーライフミュージックエンタテインメント
Gauloise(1994年)Trattria
我が名はムッシュ(2002年)*********(readymade) records,tokyo
Classics(2002年)BMG
1939〜MONSIEUR(2009年)avex io
ザ・スパイダース・カバーズ(2010年)
THE SPYDER BEAT(2012年)※「THE BOHEMIANS aves ムッシュかまやつ」名義。THE BOHEMIANSとコラボレーションしてスパイダーズ時代の曲をカバーした。
提供楽曲[編集]
ザ・ビーバーズ
君なき世界 (醐樹弦名義、1967年)
ホワイ・ベイビー・ホワイ(醐樹弦名義、作曲、1967年)
森山良子
野に咲く花(作曲、1968年)
ザ・テンプターズ
帰らなかったケーン(作曲、1969年)
静かな嵐(作曲、1969年)
永井秀和
おせっかいな雨(1969年)
ザ・タイガース
脱走列車(作曲、1970年)
人は…(作曲、1970年)
サリー&シロー(岸部修三[現・一徳]&岸部四郎)
どうにかなるさ(作曲、1970年)
和田アキ子
ハート・ブレーク・ドール(作曲、1970年)
立川マリ
ダンケシェーン・ブンダバー(作曲、1970年)
アラン・メリル
涙(作曲、1970年)
太陽と雨(作曲、1970年)
安井かずみ
プール・コワ(作曲、1970年)
ロック・パイロット
ゆりになった少年(作曲、1971年)
月旅行(作曲、1971年)
キャノンボール
地獄へのパスポート(作曲、1971年)
ガロ
四つ葉のクローバー(1972年)
笠井紀美子
ベッドの舟で愛の海へ(作曲、1972年)
ジョージのブルース(作曲、1972年)
とじこめて(作曲、1972年)
乾き(作曲、1972年)
You Talk Too Much(作曲、1972年、笠井紀美子との共作)
にしきのあきら(現・錦野旦)
ピポピポ旅行(作曲、1973年、テレビドラマ『走れ!ケー100』主題歌)
DO.T.DOLL(ドゥー・ティー・ドール)
涙のシーズン(作曲、1974年)
安西マリア
恋の爆弾(作曲、1974年)
エンド・マーク(作曲、1974年)
木之内みどり
まだ手探りしている天使(作曲、1978年)
レイジー
ハロー・ロスアンジェルス(作曲、1978年)
沢田研二
午前3時のエレベーター(作曲、1980年、アルバム『G.S.I_LOVE_YOU』収録)
CAFÉビァンカ(作曲、1980年、アルバム『G.S.I_LOVE_YOU』収録)
想い出のアニー・ローリー(作曲、1981年、アルバム『S/T/R/I/P/P/E/R』収録)
everyday joe(作曲、2000年、アルバム『耒タルベキ素敵』収録)
C-C-B
ゴールドコーストのクリスマス(作曲、1983年、アルバム『Mild Weekend』収録)
そして9月(作曲、1984年、アルバム『Boy's Life』収録)
三橋美智也
I'm A 北海道 Man(作曲、1984年、おおーい北海道キャンペーン・テーマソング)
可愛かずみ
星の歌を聴きながら(作曲、1984年)
立花理佐
大人はわかってくれない(作曲、1987年)
瞬間(作曲、1987年)
放課後デート(作曲、1987年)
TUBE
Sail Away Forever(作詞、1988年)
今井美樹
Tea for two(作曲、1991年)本作はアントニオ・カルロス・ジョビン作「ESTE SEU OLHAR」丸コピー(パクリ)である。
中嶋美智代
恋の歌(作曲、1991年)
雨の動物園(作曲、1992年)
CM(楽曲提供も含む)[編集]
ライオン バイタリス「乱れたら」(1972年)
日本コカ・コーラ「うるおいの世界・友達編」(1974年)
味の素ゼネラルフーヅ マックスウェル「ハロー・ミスター・サンシャイン(タニヤ・タッカー)」(1976年)
明星食品 「チャルメラコーン」(1978年)
アップリカ 「コンコルミニ」(1980年)
サントリー ワイン 「レゼルブ」(1987年)
宝酒造 純「Legend」(1994年)
日本コカ・コーラ 「ミニッツ・メイド」(2001年)
トヨタ自動車「プロボックス」「サクシード」(2002年)
サッポロビール 「ヱビスビール」(2003年)
明治乳業 「VAAM WALKER」(2005年)
au 「ジュニアケータイ」(2006年)
サントリーフーズ 「フラバン茶」(2007年)
サントリーフーズ 「ボス」(2009年)
KINCHO 「ゴキブリがいなくなるスプレー」(2010年)
サントリー(2011年4月) - 東北地方太平洋沖地震 復興支援の企業イメージCMに出演(坂本九のヒット曲である「上を向いて歩こう」・「見上げてごらん夜の星を」の両曲を同社グループのCM出演者総勢71名がリレー方式で歌っている)。
ACジャパン「ささえあったら、人になる。」(2011年)
江崎グリコ「みんなに笑顔を届けたい。冬篇」(2012年)
アニメーション[編集]
OVA『DOWN LOAD 南無阿弥陀仏は愛の詩』(1992年)劇中音楽および下記挿入歌
OUT OF BORDER
WEATHER REPORT BLUES
DETHMAIL BLUES
RTB (OVA『戦闘妖精雪風』エンディングテーマ)
さみしいさみしい (2001年) 『千と千尋の神隠し』イメージアルバム収録のカオナシのイメージソング
The IJIN-DEN 天才の法則 (作曲、2003年、アニメ『妄想科学シリーズ ワンダバスタイル』オープニングテーマ)
出演[編集]
映画[編集]
檻の中の野郎たち(1959年、東宝) - ロー公 役[3] ※釜苑ヒロシ名義
俺の故郷は大西部(1960年、日活) ※挿入歌「結婚してチョ」
大森林に向かって立つ(1961年、日活) - 利坊役 ※自身作詞歌唱の「かえり船」も挿入されている
有難や節 あゝ有難や有難や(1961年、日活) - 梅役
東京騎士隊(1961年、日活) - 平井役 ※主題歌「東京騎士隊」挿入歌「誘惑してミナ」「チョイチョイ節」
学園広場(1963年、日活) - 主役山内の叔父役
波止場の賭博師(1963年、日活) - 太田役 ※挿入歌「アンニー・ローリー」
仲間たち(1964年、日活)
ザ・スパイダーズのコーゴー向こう見ず作戦(1967年、日活)
ザ・スパイダーズの大進撃(1968年、日活)※音楽担当
ザ・スパイダーズの大騒動(1968年、日活)※音楽担当
ザ・スパイダーズのバリ島珍道中(1968年、日活)
渚の白い家(1978年、松竹) - ケン役 ※音楽担当
戦国自衛隊(1979年、角川春樹事務所) - 根本茂吉二士 役
ゴジラ(1984年、東宝) - 新幹線の乗客 役 ※「ビートたけしの学問ノススメ」の釜田の扮装で登場
ぼくと、ぼくらの夏(1990年)
THE DETECTIVE IS BORN 代官山物語 「探偵誕生」(1998年)- ミスター役
けものがれ、俺らの猿と(2000年、日活)
テレビドラマ[編集]
時間ですよシリーズ (1971 - 1990年、TBS) - 釜田 役
アイコ16歳 (1982年、TBS) - カメラマン・川内 役
さよなら三角 (1983年、CX)
ビートたけしの学問ノススメ (1984年、TBS) - 釜田 役
金田一少年の事件簿 (2001年、NTV) - 斑目紫紋 役
無理な恋愛 (2008年、KTV)
ガールズトーク〜十人のシスターたち〜(2012年、EX) - 神やつひろし 役 ※ナレーション
スナック喫茶エデン(2012年 - 、CX) - 役名不詳 ※「時間ですよ」シリーズの釜田の扮装で登場
コンサート[編集]
Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ (2001年)
吉田拓郎 & かぐや姫 Concert in つま恋 2006 (2006年)
大山ミュージックリゾート in 花回廊 (2007年)
ap bank fes '10 (2010年)