高崎市 安中市
ピアノ教室クレッシェンド
講師の髙橋聡子です!
今日からの記事では、
私の自己紹介をさせていただきます。
長い文章になりますが、
読んでいただけたら嬉しいです
髙橋 聡子(小井戸 聡子)
たかはし さとこ(こいど さとこ)
群馬県安中市出身
高崎市在住
1児(男の子)の母
◉幼児から小学生時代
高崎市で生まれ、6歳までは高崎市で育ち、
年長の時に安中市へ引っ越し。
3歳から、ヤマハ音楽教室にてグループレッスンに通い始めました
幼児科を修了し、小1からは
ジュニア専門コースへ進級♪
「グループレッスン」と「個人レッスン」があるコースです。
グループレッスンは、学校が違うお友達と会えることを楽しみに、ほとんど練習をせずに通っていました
個人レッスンに向けての練習は、毎日していました。
当時は母が現役のピアノ講師だったので、
宿題の曲を弾けるようになるまでは休日どこにも連れて行ってもらえず、
泣きながら練習した記憶が多々あります
現在、母は70代前半ですが、2021年秋頃から足が悪くなってしまい、私は介護の道に足を踏み入れています。
小6の時に、学校で、合唱コンクールの伴奏を任されました。「Tomorrow 」という曲でした。
◉中学生時代
中学は、家から徒歩3分の、新島学園へ入学しました。
中1の頃は、かなり早い時間に登校していましたが、段々と、近いのに、(近いからこそ⁈)ほぼ毎日遅刻ギリギリの時間に走って登校していました
ピアノレッスンは、一旦卒業しましたが、中学生活が慣れた頃から再開。
東京まで通っていました。
大学の先生に習っていました。
この頃、音楽の道を志すと決めてはいません。
部活は、聖歌隊に入っていました。
放課後練習は、確か毎日ありました。
プラス、毎日お昼休みに20分くらい合唱練習がありましたが、お昼休みは基本練習に出ていませんでした
なぜなら当時は、お弁当の時間が一番好きな時間でしたので、その時間が減るのに耐えられず
夏休みは合宿しかなく、午前中に毎日部活がある子が羨ましかったです。
聖歌隊は、中3の途中で退部しました。
中2の夏に、「群馬県ピアノコンクール」を初めて受けました。
その時の予選の課題曲の1つが、
バッハ作曲 フランス組曲でした。
(確か課題曲は、2曲ありました)
本番、いつにもなく、我ながら上手に弾けたな!と自分でも思った上に、別の観客からも、
「上手でしたね〜!」
と声をかけられ、これは本選(選ばれて、次の舞台へ)行ける!と期待を膨らませましたが…
何も賞を取れませんでした
うまくいったと思っただけに、結構ショックが大きかったです。
中3でも同じコンクールを受けました。
その時の課題曲の1つは、
ショパン作曲 小犬のワルツだったと記憶しています♪
この回も賞は取れませんでした。
中3の冬、「カワイ音楽コンクール」を受けました。
当時は自由曲を1曲演奏でしたので、
ドビュッシー作曲 ピアノのために
を弾きました。
こちらは、賞をいただき、本選まで進むことができました!
このコンクールには、ヤマハ音楽教室時代のグループレッスン仲間が聴きにきてくれました!
中学でも、毎年合唱コンクールの伴奏をしていました♪
積極的なタイプではないので、自分から手を挙げて伴奏をする事は少なかったですが、担任の先生やクラスの子も、私がピアノを弾けることを知っていたので、最終的に任される事がほとんどでした。
中3のとき、自由曲で「青葉の歌」という曲を選ぶことになり、伴奏が難しい曲だったけど
「ピアノは小井戸さん(私の旧姓です)がいるから大丈夫!」と、当時の担任の先生に任せてもらいました
中3生は、合唱コンクールが近づくと、
どのクラスが金賞を取れるか!?
と、気合いが入ります
私のクラスは、惜しくも銀賞でした!
楽しい思い出です。
続きます
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