今日8月15日、終戦から79年目が経った!

 

原爆投下され、

今では、広島平和公園は、多くの人達が訪れていますが、

今日は、似島について、述べたいと思う。

 

原爆投下から、1時間経ち被爆した人びとが

似島に運ばれた事を、語られることが少なく、

広島の人も知らない人が多くなっているので、

あらためて発信しようかと思う。

 

似島は、日清戦争、日露戦争に帰還した兵士が

当時感染症で亡くなることが多く、

日本初、日本最大規模の陸軍検疫所(世界最大とも言われた)

が建てられています。

近くの宇品港から出兵して、終戦後

宇品から船🚢で20分で行ける似島で検疫され、

本土に菌を持ち込まないようにと

当時の日本の感染症におけるリーダー達

後藤新平の指揮の下、

大変に優秀な検疫所を建てたそうです。

 

 

また、外国の捕虜も検疫され捕虜収容施設もあり、

日本は、捕虜と言えども手厚く扱い、

住民との交流もあり、サッカーをしたり、

音楽や、工業技術、ソーセージなどの

食文化を教えたり、ドイツ人のお菓子作りも楽しみ、

今のユーハイムのバームクーヘンは、有名ですね。

 

しかし、新たな悲劇は、

原爆投下から1時間ほどして

広島市内から被爆した人びとを、

何とかして手当てする為、

水軍特攻隊(まだ10才代の若者)が駆り出され

船で一万人の被爆した人を似島に運んで、

住民と共に治療したが、

ほとんどの人が亡くなったと。。。

 

火葬が間に合わず、

軍馬の火葬場を使い火葬に当てても

足りないので土葬したと。。。

 

今は、沢山の慰霊碑が建ち、

似島資料館が歴史を残しているそうですが、

訪れる人が少なく、原爆投下を学ぶ為に

語り継ぐ大切な島だと思っています。

 

親を戦争で亡くし、孤児になった子ども達を受け入れ、

施設を作り、教育し、育てた歴史もある島です。

 

悲惨な事は、目を背け、

忘れたいと思う人の心は皆同じですが、

8月15日、終戦記念日には、

今の平和を築いてくれる為に

犠牲になった方々の想いを忘れずに、

今を感謝して生きていきましょう‼️❣️