通常の日記に戻したいのだけど、、、 | 信頼していた人に強姦されて・・・過去.未来を奪われた人生の記録...

信頼していた人に強姦されて・・・過去.未来を奪われた人生の記録...

信頼していた自然食品店社長にレイプされ、第二次被害(妊娠)。精神が壊れていく過程、
更に3年後社長の虚偽発信による裏切りが原因で、人格破壊。
強姦されてから12年経った2015年、勇気を出してブログに記録を残そうと決意しました。最後の願い.助けを求めて。。

10月は、毎年、思いが重く、、
沢山の事が一度に襲われる状態。

 

地震、台風、だけでなく、
どれも関わりたくない災害を
一気に携わっている状態。

 

2003.9/7、
信頼していた自然食品店経営S氏に
レイプされた。

 

レイプだけだったら、
ここまで苦しみ続く事は無かった。

 

孤独程、生きれないコトはない。
そこに辿るまでの残酷体験。

 

それらを全部書き残すと決めた
2015.6月から、毎日頑張って投稿してきた。

 

自分の事だから、
全部覚えているから、
読み進むと泣き崩れるから、

 

自分の事なんだけど、
自分ではない人が体験した事、、
とか、置き換えて書かないと
書けなかった。
置き換えても、書けなかった。

 

16年の歳月が経って、
人も死んで、喪失感がどんどん入る事で、
もっと整理できるようにはなった。

 

だから、当時の事をもっと明確に
ラ-ラ自身が崩れずに書く事が
できるようになった。

 

レイプというモノは、
それだけの時間がかかり、
それだけの時間がかかっても
完治に導かれない残酷残虐過ぎる行為。

 

今日も、10/19の事を書きます。



 

.......日記より.....
2003.10月19日(日)

 

彼に、岡谷へ来いと言われ、、
14時に出た。

 

苦しくて、、、、。


 

クリニックへTelする。
 (出血ひどくて、、、、、、)



 


 

(↑日記より)

 

.................
2003.10/17に彼と会う事は出来なかった。

 

メ-ルが無いと言う事は、OKと言う事だ!
と、彼に再三言われてきた。
メ-ルが無かったから例年通り
ショパン命日に松本へ向かった。

 


 

会えなかった。

 

糸魚川に戻ってからも
泣いて泣いて、、
自分でもどうしてこんなに涙が出るのか
分からなかった。


 

我慢強いラ-ラ。
人前で涙を見せる事は、無かったラ-ラなのに、、。

 

彼より「岡谷に来い」とメ-ル貰った時、
すごく冷たい感じの言葉に感じた。

 

岡谷ってどこよ???

 

レイプされず、妊娠もせず、、
中絶手術もしないで、日常を過ごしていれば

 

岡谷がどこにあって、どんな町かとか
理解していた筈。

 


 

岡谷合唱団に居た人が、
ラ-ラが作った"ス-パ-プリンセス"合唱団に
入ってきたので、共に合唱を楽しんでいた。
更に、
岡谷合唱団の演奏も好んで聴いていた。

 

行った事は無いけれど、
長野県のどの部分にあるかとか、
些細だけど知っていた。


 

なのに、
2003.10月のラ-ラに起こった事は、
知識含めて、自身が知ってる事を
思い出すとか実行するとか、
自然に動く以前に、

 

生きているのか、死んでいるのかも
分からないような、

 

自分なのに、自分って何?
って感じの、
現実なのか、どこなのかも
分からなくなる状態で、、、

 

脳内の全てがレイプ傷に覆われ、
それまでの知識、知恵の場所までも
レイプ傷に覆われた状態だった。

 

 

臆病で、何に対しても恐怖にしか
感じられない現状だった。


 

彼は、
「岡谷に来な!」と
簡単なことばで捧げてたのかもしれないけど、
ラ-ラの中で言葉が恐怖に
変換されていた。

 

松本でも遠いのに、
(遠いと感じる程、大変な移動だった)
まだ更に下へ行くの?

 

塩尻超えて、諏訪湖くらい?
どこよっ!!

 

悲しくて、切なくて、、、

 

ラ-ラが移動するのではなくて、
来て欲しかった。
運転がキツイの。

 

運転して欲しかった、

 


 

そんな状態で、
行くしか選択権が無い。

 

「行けない」と言えば、
彼が代わりに来てくれるような
環境でもない。


 

S氏は「絶対無理だ! そんな体で!」

 

と止めたけど、

 

そんな体にさせたのは、S氏よ!

 

2日前の10/17に松本往復していて、
更に2日後の10/19、岡谷へ、
更に言うと、岡谷に行ったと想定し、
翌日、長野レッスンで長野へ行くラ-ラ。

 

誰が見ても無茶だった。

 

健康な人のロ-ドでさえ、大変。

 

泊まってくれば、同じ長野県内だから、
些細に楽だろうけど、
ラ-ラは出血している。

 

ホテルを汚してしまう、、とか
過緊張のラ-ラは、多分寛げない。

 

クリニックドクタから
「2週間は絶対安静に、運転も止めてね」
と言われていたけれど、

 

言われた事を守れる環境に、居なかった。

 

中絶手術した翌日、糸魚川に戻って、
次の日は200km以上離れている長野へ
仕事で向かった。


 

朦朧しながら運転した事は鮮明に覚えている。

 

S氏が「行くな」と言う言葉を交わす中で、
向かった。

 

この頃は、何1つケアが無かった。


 

 

飲み物1つ買う余力もない。

 

糸魚川からだと、
松本から高速に乗るより、
豊科はら乗った方が簡単だ、、と頭で分かってても、
高速に乗ってから中央道に入るの?
どうすればいいの?
と、混乱が、ストレスを肥大させていた。


 

高速降りてから、どの道に向かえばいいのかも
分からない、自分が分からない、
ここはどこ?

 

こんな精神状態で、気力は使い果たしていた。

 

彼に気づいて欲しい!!!!!と願った。
気づいて貰えれば、自然に語ると思った。
そんな精神状態だった。

 

こんな状態の精神で、ファミレスとか
寄りたくなかった。

 

普段、こういったお店を利用した事が無い人生で、
自然食を中心に生活に取り込んでいたのに
どうしてこのタイミングで???

 

と思うだけで悲しくなった。


 

レイプされ、妊娠し、中絶体験まで
1ヵ月界隈で体験したラ-ラは、
何をされても悲しみにしか変換されなくなっていた。

 

こんなもの食べたくない、
ここに居たくない、

 

もっと静かな所に連れてって!!

 

こんな感情だった。

 

何もしていないのに彼は怒っている。

 

怒られると恐怖が肥大し怯えになっていた。

 

そんな状態で会っても彼だってイヤだろうに、
ラ-ラは笑えなくなっていた。


 

触れても貰えず、たった20分で去っていった。

 

多分、折り返してきてくれると信じた。
こんな状態で、ラ-ラほ放置して帰るワケないと
思った。だけど、、、

 

折り返して彼は来てくれなかった。


 

すごく悲しくて、このまま天国へ逝きたいと
導かれながら運転した。

 

高速には乗れなかった。

 

道は繋がっていると彼は以前話していた。
だから、このまま真っすぐ行けば、松本に着いて、
松本までくれば、糸魚川まで戻る事は出来る。

 

しかし、
戻る所か、迷子になっていた。

 

暗い夜道は、益々ラ-ラを悲しみに導いた。

 

道中、出血している事が分かった。
車のシ-トを汚してると思った。

 

こんな真っ暗で、人も居ない所で、
道を尋ねたくても人が居ない状態。


 

S氏から電話が入った。
無視していたけど、無視しても
出るまでかけ続けるS氏。

 

途中で出たら、「松本で泊まってきなさい」

 

と強制され続けた。


 

簡単に言うけど、お金持ってないのに、
どうしてそんなに簡単に言うの?

 

10月は、10/1初めての婦人科検診へ上京し、
親には言ってないけど早朝に出かけて夜戻り、

 

10/4~10/6、中絶手術の為、新宿に居て
10/10は手術検診の為、新宿で1泊し、

 

月末も診察の為、宿泊する予定なのに、
こんなに外泊している娘を見て両親は
不信に思っていた筈。

 

長野出張レッスンと彼が松本の人と言うことは
両親知っていたので、行く事に対して
文句は無いけれど、外泊は、これ以上無理よ。

 

11月は既に、
ピアニスト活動で外泊が決まっていた。

 

行き場もなく、泊まれ泊まれと強制され、
迷子しているラ-ラは、自棄になりたかった。


 

糸魚川に戻ったのは、早朝になっていた。

 

2003年のショパン命日は、人生最悪で、
その想いと、その後の体験は、

 

レイプされた傷と共に、深く刻まれた。
感情滝すぎるへ母体はこわれのす



 




 

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