2006年8月~PTSD症状苦しい~ | 信頼していた人に強姦されて・・・過去.未来を奪われた人生の記録...

信頼していた人に強姦されて・・・過去.未来を奪われた人生の記録...

信頼していた自然食品店社長にレイプされ、第二次被害(妊娠)。精神が壊れていく過程、
更に3年後社長の虚偽発信による裏切りが原因で、人格破壊。
強姦されてから12年経った2015年、勇気を出してブログに記録を残そうと決意しました。最後の願い.助けを求めて。。

2006.8月18日(金)
止まらない苦しみ。
起きていると全部の時間が苦しみになっている。
生活の全てが凶器となって襲ってくる。
我慢できない。涙が落ちる。

白ドレス、死へ導かれるもの。
ラ-ラは気丈な子だから、みんなはラ-ラの事を
「絶対大丈夫」と決めている。
甘えが出来る子は、寿命があと50年残っているレベルであっても
苦痛があった時、ムリって簡単に言えるけど、
ラ-ラは、あと数秒でムリとなる状態まで我慢してしまう。

みんなでラ-ラを悪者にして処理し、、
そんなにいらない子なら、殺してよ。
価値が無いんでしょ?私に。

みんなで私の事を文句しか言わない。
頑張ってても褒める所は、貶す。

ラ-ラ自身は、純粋で、繊細で、ナ-バスなのに。
どこを探しても、ラ-ラ程の優しい人、気遣い出来る人は
なかなか居ないって。。
気遣いし過ぎる為、病気になったと言われる。

私、何でも赦してしまったもんね。
私の優しさに、人達は甘えるんだろうね。

親は、長い間、私と居ないから、私の好みとか
性質すら知らない。

幼少時代から、何でも出来る子だった為に
人に褒められる事が少なかった。
今更だよね。

甘えたらダメにんだ、、と私は決めていた。
私は、命朽ちるまで緊張していただろう。
いつも緊張して人達に捧げていた。

何の為に生まれてきたのか、分からない。

この姿、世間の人達に見せたい。

これ以上の残酷ってないわ。

そして、、
20年来、私を見ていた調律師W氏と電話した。
調律師は私の異変に気付いた為。

・・・・・・・
2006.8月19日(土)

3美ちゃん10時に出て、それから戻って来ない。
1750頃、母が切れた。私とやりあった。
痩せ衰えた体の私は、グ-になっていた。
18時、富山からNちゃんが来て、1930まで語った。

Nちゃんに支えられ出かけた。
帰宅後、Nちゃんは母の元へ行き、
語っていた。
Nちゃんと早朝5時頃まで
私と語った。涙が止まらない。
Nちゃんの前で泣きたくなかったが、涙が止まらない。

・・・(ノ-ト日記より)
2006.8月19日(土)  PTSD酷い日。

朝、3美ちゃんを起こし、私の心臓が突然痛みだし、
呼吸困難になって横になった。
そのまま早朝4時過ぎまで倒れていた。

3美ちゃん、1430までに戻ってくると言ってが
来なかった。
だれも居ない中で16時になった。
どうしても動けない。寝たきり8日目。
不自由な体を無理矢理起こし、家に戻って着替えた。

1755頃だったか、私は離れに戻った時、母が離れに来て
いきなり私に文句を言っていった。
それが切なくて、
私は、何もしてないのに、レイプされた私は何も悪い事
していないのに、どうして私を攻める?

ハンカチで顔を覆って泣いていたら、富山から
Nちゃんが到着した。
Nちゃんにコ-ヒ-ゼリ-を捧げて、19時まで語った。
その後、近くの某ス-パ-まで出してくれて、1930頃戻った。

先にNちゃんにお風呂行って貰って、その間、私は
何日ぶりか分からないけど、ガス栓開けてコンロを使った。
支給されたお惣菜をお皿に分けてNちゃんの食事の作った。

16時まで寝たきりだった私が、こうやって人の気配と
人のエネルギによってここまで体を動かす事が出きた。

3美ちゃんは午前10時に出たきりメ-ルも無く戻って来なかった。
食事の支度はしていたけど、Nちゃんだけ食事して貰う事にした。
食事、私は未だ食べれないので、Nちゃんに食べて貰った。
その後、Nちゃんは、母と語りたいと言って家へ行った。

「あまりにラ-ラが可哀想だ!」と言って母の元へ。

Nちゃんなりに、私の様子を週末のみ通ってきて見ていて
その状態をどうしても私の親に語りたいと。

親なのに、師匠(私)をほっといて、師匠の様子も見ないで
師匠に当たり散らす、その状態について、母に語りたいと
強く思ったらしい。

私は、最近、全て自然に逆らわず、自然に任せているので
止めなかった。

私はS氏に固く強迫されながら
「約束を守れ!、絶対誰にも言うな!2人だけの約束」と
徹底的に言われ、更に母からもいろいろ文句言われ、
圧力がかかり、責任感が強いと言う私の性質も手伝って
すべに我慢していた。
それらが原因で心が疲れ果て壊れ、うつ病になった。

人間を束縛したりここまで強制強迫加えた我慢を
させられたら、こんなに苦しみが強く深く、辛く、、
その過程体験して私は知っているので、
Nちやんが、今、親と語りたいと言うなら、
自然に委ねようと思った。

自然が最も人間を壊さないんだ。
限界を超える我慢をさせたらダメなんだ。

3美ちゃんも母と語りたいと言っていた。

母は私を怒った。

誰が悪いのでもない。
誰もがS氏の行動に、野蛮で残酷で酷過ぎる行動に
苛立ち、内輪なのに、私達が壊れているのだ。
母だって辛い。だから私に当たる。

私は、もはや「ダメ」とか言わず、
「納得いくように、どうぞ、、」と自分が再び犠牲を
選んでしまった。

裏目に出てもいいんだ。
言えば、言われた人は言い返したくなるだろうし、
それが私の事なら、全て私に返ってくる。

もう好きにしていいよ、本心じゃない。
私ではない私を勝手に作って、
誰かのせいの誰か役に私がなってて、

もう疲れた。

私はもうじき消える人だから。。。

3美ちゃんは家に戻った。
私とNちゃんは早朝5時頃まで語っていた。

私は「Nちゃんは規則正しい生活をしている
普通の人だから、どうか早く休んで、私は、
自律神経壊れているから眠りが来ないから」と
言ったんだけど、Nちゃんは
「師匠、私に気遣うのは止めて」と言って話しを聞いてくれた。

お盆どうだったの?と聞かれ、私は黙ってしまった。

「じゃ、日記読むよ」と言って
12日から17日まで読んだ。
途中で「ごめん、ここから読めないかもしれない」と私は
伝え、そこは
15日の仏壇にペコちゃん持って麗裟嬢に手を合わせた所
そこを話すと、
文章を読む前に大粒の涙が零れて、声が出なくなって
「麗裟姫、ラ-ラママが悪かったよ。痛かったね。
痛かったねっていう分、ラ-ラが苦しんでいるわ。
本当に、産んであげられなくてごめんね」
そこを読んでいたら、
Nちゃんも涙を流していた。

私が淡々と
「審判の日(死ぬ日)を決めた。私の意思を
S氏に伝える日は、1粒宝の麗裟嬢の所へ逝く日。
その日のドレスは白。S氏の見てる前で
命を消す」
と決めた時、ラ-ラが生きた意味があったのかな?
と思った。

人が死んでいくシ-ンなんて、簡単に見れないでしょ?

私が淡々と読んだ。Nちゃんを傷つけないように。

何日ぶりだろう、人と接して、会話して、些細に楽と
感じたのは。

それでも、揺れる事も多々あって、私を苦しめた。

3か月、、、私の体に人の手が振れなくなってから。

居場所は、どこにもない。
緊張だけの月日。                         AM5:30


#PTSD #レイプ傷 #衰弱