重たい内容です。
とある方のブログを見て感じたことを
吐き出させてください。
抱えたままだと鬱々としそうなので。
その方は学生時代から希死念慮と共に
生きてこられたそうです。
自殺未遂もされたとのこと。
十数年後の今
その当時を振り返って思う事は
正気ではなかった、と。
そして、お母様が自死されたことを振り返って
絶望が死を選ぶのだと
述べておられました。
だから、母を救えなかった自分を責めていると。
私の母は妄想や幻聴、幻覚に
襲われていました。
元々の性格なのか騙されやすさなのか
のめり込んでいた◯◯や△△も沢山ありました。
コロナ禍もあってか
入院先の病院は面会が出来ませんでした。
オンライン面会のみでした。
あの日の電話で
「美味しいものを食べたい以外に何も願いはない」
「それが1番の願いや」
「あんたと会えると思ってた」
「新しい所はまだか⁈」
「まだ移れへんのか?」
「こっちの身が持たん」等と言っていた母。
介護認定の結果が届いたところだったので、
翌日施設に電話をかけようと思っていた私。
母に翌日はありませんでした。
電話で話をした後に夜ご飯を食べて
看護師さん不在の2時間の間に
逝ってしまいました。
21時まで看護師さんは来ないと
言っていました。
看護師さんは忙しいから、
簡単に頼めへん、と。
私は、母に色々言われるのが負担だったので
母がして欲しそうな事は
先回りして色々としたり
防御したりしていました。
入院中はこのような感じでした。
①母から電話がある
②私が病院へ折り返し電話をして母の話を聞く
③母の要望を相談員や看護師、医師に伝える。
④希望が叶ったり変化があったり。
3ヶ月の計画で入院した母。
その期間に介護施設を探す予定でした。
入院して1ヶ月と少し。
追い詰められた母は
ここを出られない現実に絶望したのか
他の妄想や幻聴に支配されたのか
自ら逝ってしまいました。
精神疾患が寛解した人と
悪化して亡くなってしまった人。
脳の障害の程度なのか
性格なのか
環境なのか
あの日から紐状のものを見ると
あーこれも自殺に使えるなと
思う事が多く、怖くなります。
生きている
ただそれだけで良い
私の人生を生きる
そこに自責は必要ない。
母の人生と
私の人生は別物。
自分の心を守ることが最優先。
美味しいものを食べて
明日からまた働きます。