聖書は啓示の書

 

「聖書って何?」という質問に、日本聖書協会では、

「聖書は,神と人間との歴史における出会いの物語である」と、

答えています。

 

聖書は神様から人間へのラブレターであるとも言われているし、

啓示の書、預言の書、とも。

 

これらは全て正解です。

 

宇宙全てをお造りになった創造主が、預言を通して霊感によって

人間に書かせた書物だからです。

人間の歴史は、このお方のおっしゃる通りに運ばれてきています。

そしてこれからもそうです。

 

聖書とは、神様の人間への啓示の書です。

 

でも、聖書の主役は「人間」ではありません。

「人間と神」でもありません。

 

なぜなら、聖書のゴールは「神の栄光」だからです。

 

ローマ人への手紙11:36に

「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。」(新共同訳)

と書かれています。

 

実にすべて、自然界の被造物、私たち人類の存在、数々の歴史上の出来事、

聖書の目的、救いの計画の目的は、神さまが神であられること、神の栄光をあらわしています。

 

すべて神の許しのもとに発生しています。すべて、「神」についてで、

「私たちにとって」と、いった、「私たちを介入する必要はありません。

 

そしてもちろん、神の啓示も、神の栄光、神の臨在にほかなりません。

 

神は神であられるために私たちを必要としないのも関わらず、関係を持とうと望まれている事実に、

素晴らしい恵みがあります。

 

有限な私たちには、無限な神を知り尽くせません。

 

その私たちに、神の啓示と言うのは、神がどのようなお方であるかを、

つかむ事が出来るように計らってくださっている、神の愛のシグナルでないかなと、

私自身は思っています。

 

神の啓示は、スタンプ、刻印のようなものかもしれません。

 

被造物の存在、そして、私たち人間に備わっている良心や、モラルなどは、

神の性質が刻印されたかのようです。

 

歴史の動きの中にも、この神の摂理を認めないわけにはいきません。

今世界中で繰り広げられる混乱、

政治の腐敗を見ても、終末時代がすぐそこに来ていること、

それが聖書に預言された神の計画通りである事を

認めざるを得ません。

 

 

「シャカイナグローリー」と云われる神の栄光は、

自然現象的に光、火、雷、嵐、雲となって、

神の啓示が人の目に見える形で、現れています。

 

時には、恐ろしい警告として現れますが、

希望として私たちの目にはだかる事もたくさんあります。

 

その他、神さまは幻、声、み使い、エンジェルを通して

私達に警告、励まし、進むべき道を指し示してくださっています。

 

今から、2000以上前には、

神さまは最初で最後、

人、イエスキリストとなって

ご自分をあらわされました。

 

これを読まれているあなたにも、

何度も神さまはご自分を表していらっしゃっています。

 

気づきませんでしたか?

 

大丈夫で、

聖書を読めば、あらゆるところに

神さまがどの様な形で表れているかを

気づかせてくれるヒントが書かれています。