松山市清水町のピアノ教室
【SSピアノスクール】です。

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中2次女の国語の読解問題。

あまりにもできていなくて滝汗

私も読んでみました。




須賀敦子さんの「塩1トンの読書」

という本からの抜粋です。




文学で古典といわれる作品を読んでいて、ふと、今でもこの塩の話を思い出すことがある。この場合、相手は書物で、人間ではないのだから、「塩をいっしょに舐める」というのもちょっとおかしいのだけれど、

すみからすみまで理解しつくすことの難しさにおいてなら、本、特に古典とのつきあいは、人間どうしの関係に似ているかもしれない。読むたびに、それまで気がつかなかった、新しい面がそういった本には隠されていて、ああこんなことが書いてあったのか、と新鮮な驚きに出会いつづける。



長いこと付き合っている人でも、何かの拍子に、あっと思うようなことがあって、衝撃をうけるように、古典には、目に見えない無数の襞(ヒダ)が隠されていて、読み返すたびに、それまで見えなかった襞がふいに見えてくることがある。



「古典とは、その本についてあまりいろいろ人から聞いたので、すっかり知っているつもりになっていながら、いざ自分で読んでみると、これこそは、あたらしい、予想を上回る、かつてだれも書いたことのない作品と思える、そんな書物のことだ。」



現代社会に暮らす私たちは、本についての情報に接する機会にはあきれるほどめぐまれていて、誰にも「あの本のことなら知ってる」と思う本が何冊かあるだろう。

ところが、ある本「についての」知識を、いつのまにか「実際に読んだ」経験とすりかえて、私たちは、その本を読むことよりも、「それについての知識」を手っ取り早く入手することで、お茶を濁しすぎているのではないか。ときには、部分の抜粋だけ読んで、全体を読んだ気になってしまうこともあって、「本」は、ないがしろにされたままだ。


私たちは、詩や小説の「すじ」だけを知ろうとして、それが「どんなふうに」書かれているかを自分で把握する手間を省くことが多すぎないか。


同じことはどの古典作品についてもいえる。

読書の愉しみとは、ほかでもない、

この「どのように」を味わうことにあるのだから。






小学生のころは物語と伝記が大好きで、

4年生で転校することが決まっていた私は

「図書館にある伝記を読み尽くす」と決め、

実行したんですね。

北里柴三郎とか全然意味がわからないんだけど、

何せ「全部読む」が目標だったので、

必死で読んだことを覚えています。


ところが、

10代は大好きだったはずの読書を

放棄して過ごします。



読みたいと思わなかったのは、

国語の授業やテストやらなんやらで

お腹いっぱいだったのかも知れないし、


そんなことより友達関係や

自分を着飾ることや流行を追うことに

一生懸命だったと思います。




20歳、大学2年生ころから

また本を読むようになりました。

山田詠美とか村山由佳とか野沢尚。とにかくたくさんの作家の単行本を新品古本買い漁り、

片っ端から読みました。

夢中で読んだのは唯川恵で

全て読んだと思いましたが、

あるとき作風が変わったように感じ、その作品を境に一切読んでいません。

作風が変わったのか、自分が変わったのか。



25で長女を産んで生活がガラッと変わり、

自分ひとりが狭い部屋に取り残されていく気がして、本当につらかった。

本は癒やしだったと思います。




29歳で次女を出産した私は、

ここから本格的にピアノモードに入っていきます。


物語はまだ読んでいたけど、

歴史ノンフィクション作品?というのか知らないけど、そういうのも好きでした。

北方領土とか日教組とか(笑)

でもなんといっても、

書籍の中心はピアノ関連の本になりました。



呉暁先生の幼児指導に始まり

レッスンHow to本。

音楽史関連に作曲家のこと。

奏法、和声に演奏法。

発表会の仕方とか経営本なんかも。


読んで、読んで、読みまくりの30代。

本から学ぶこと、レッスンを受けて教わること、

思い付いて実現可能なことは

全て実践していました。


次第に点と点が結びつき、対生徒に手応えが感じられるようになると、本当に嬉しかったです。



そして、40代になった私は、、、



買って、買って、買いまくり、放置。

読んでない本が山積み状態。




まさにこの「塩1トンの読書」に書かれてある通り


最近の私は、

お手軽な方法でお茶を濁していました。





ネット検索だけをして、

人がまとめてある文章を読むことで

理解したような気になっている。



その曲についての解説を

手っ取り早く入手することで、

その曲や作曲者のことを知った気になっている。



そして、こうして得た知識は

やっぱり頭に残らないのです。


なーーんにも。





ピアノだって、、、

YouTubeもそりゃ勉強になりますし、

すごく参考にもなりますが、

実際自分が弾いて、それらを落とし込まないと

本当の理解につながりません。


これは生徒さんたち自身ににも

言えることだと思います。



言われた通りに弾くだけでは、

本当の理解にはつながらずその演奏は希薄。

自分がどうしたいかが加わることで

説得力が生まれてくるんですよね。






読むたびに、それまで気がつかなかった、新しい面がそういった本には隠されていて、ああこんなことが書いてあったのか、と新鮮な驚きに出会いつづける。



まさに、これこそ古典音楽。

私たちが日々挑み続けるクラシック音楽

そのものです。



弾くたびに、それまで気がつかなかった、新しい面がそういったには隠されていて、ああこんなことが書いてあったのか、と新鮮な驚きに出会いつづける。



私、実は古典文学はあまり得意ではない(笑)


でも古典文学と古典音楽は

通じてるどころか同じですね。




全楽章演奏会のことを

「チクルス」というんだって!



放置している本を、

ひとつひとつ読んでいくことが

きっと新たな自分につながると思う。


やっぱり簡単にはいかない。