体内の連動において、自分に足りないものは何か?をずいぶんと長く考えていました。
その最終的に到達したところが骨盤です。
これは、骨盤から見るジストニアがやっと見えてきた段階ということでもあります。


「考える」ということに対する結果は、その中身によって思い込みで停滞するか、目的が見えてくるか、という二通りがあります。
ここで言うところの、
ぐるぐると自分の思い込みの中でしかない考え方は、「ジストニアから見る 〜〜」。
ジストニアなんだから一見当たり前の見方のようですが、症状をよく観察するにしても、「このような不具合がある。」という方向から対象の物を解釈していくことは、真髄には絶対に達しません。
乱暴な言い方をすると、
私はジストニアなんだから、〜〜は、症状に対してこうあるべきで、こう改善していくべき!
というような、自分の思考の中でしか解釈できない非客観視は、鎧を着込むばかりで、目的は遠退く。

考えている自分自身が自分主体である考え方から脱せない時間があったが故に、
また、脱するための設定条件があまりにも少なすぎるために、私が「長くかかった」ことは間違いありません。


骨盤から見て、ジストニアの私には何が不足しているのか?

もちろん骨盤だけではなく、
頚骨から見たジストニア
胸骨から見たジストニア
肩関節から見たジストニア
そしてもちろん、筋感覚から見たジストニア
等など、すべてにおいてその間に存在するもの・付随するものを、裏側から見るような感覚で求める。

これは、定期的に徒手治療で常に整えられている状態が大前提としてあってそして初めて見えてくるものであり、上記の各々が繋がっている、という実感が得られるものでありますが。

さらにその見る感覚は、「映像化」「視覚化」です。

例えば頚骨も胸骨も、その部位には明らかに症状の要因となる身体的な運動があることが伺えるのですが、そこに残されたたった一つの手段は、映像化する、というその作業なのです。
もちろん、運動としての映像化です。
写真や解剖学的な図を見ているような、ただ単に平面的に想像しているのとは違う ということです。

そういう意味で、明らかに症状の要因があることは分かってはいたけれど、どうしても条件・情報不足だったのが、骨盤でした。
だから、頚骨から入っていっても胸骨から入っていっても、それらの表から裏から見ても、そしてそこから顎・耳・目・肘・肩などへ筋感覚を通して繋げていっても、どこかに行き止まりがあるような、確かに間違ってはいない通り道だと確信はあるのだけど、今ひとつ欠けている道があるような・・・という具合。

確かに!
骨盤は、大きくそこにあるのにもかかわらず、あまりにも当たり前に勝手に支えてくれている存在なので、" 腰は要 " の言葉の中身に真剣に疑問を持つことはしづらい。
分かっていても、入っていきづらい。
故に、私の腰(骨盤)は安定している。もしくは安定しているだろう。という勝手な思い込みに走ってしまう。


歩く時、目に見えて動いているのは足で、足を動かすから股関節が動く ということは誰でも易々と想像ができますが、
そこに、連動している という視点を加えると、予想外なほど逆に寛骨の方が、股関節で大回転をしている!
寛骨がぐるんぐるんと回っていれば、当然、仙腸関節も尾骨も恥骨結合も、骨盤内にある全ての関節が動いている訳です。

この連動は、上半身のバランスを常に受けて、座骨の接地面である椅子や足裏が感じる地面へと伝えます。
また、そこから背骨へ、胸骨へ、そして頚骨へと、エネルギーを伝える。

間違いなく、これまで視覚化していた胸骨・頚骨(その先の顎関節まで)の方向性と、一本の道として繋がっていきました。



とりあえず3Dっぽい画像をネットより
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これが動画であればいいのですがね。笑。




ここでの目的は、
「立っていても歩いていても、座っているような(楽な)感覚」
「座っていても、立って歩いているかのような内的なアクティブ感」。


天野 泰司 著  『からだの自然が目を覚ます  気功入門』春秋社  より

「動中の静」「静中の動」
自由な変化と調和の感覚のこと。
「動」と「静」は別のものではなく、自然の働きのなかには常に同時にあるもの。


ピアニストに限らず、どんな職業でも、身体感覚センスの良い人は、このように見え、実際にそのような姿勢と身体の精神であるのです。

言わずもがな、だけど大方誤解されているため、あえてはっきり言うと、
これは、決して、普通の日常生活の延長上に表れるものではない。
見ている方向の根本的な違い・時間軸の非連続が、身体をそのようにさせているのです。

例えば、有能な科学者が何かを観察しているその様子は、日常生活時間とはかけ離れた次元で行なっているでしょう。そしてきっと、見て考えるそれは一般とは明らかに違う方向からであると思います。それと似たようなものです。

身体の話で言えば、
支障がなければそれが正しいのか?
正しいと思い込んでいるものが、ある日突然覆ったら?

例として、その問題と真正面から実際に現実に向き合っているのが、一般的に言われる障害を持つ方です。
しかし、ここをもっと突っ込んで言わせていただくと、逆に「健常」者の方の、それは世間一般が当てはめて(もしくはご本人がそう思い込んで)いるだけ(の言葉)であって、全ての人は障害を持っている。それが表面に出ているかいないかの違いでしょう。
表に現れる障害ときちんと向き合って、その上に生活の営みをされる方の「生き方・考え方」の方が、よりレベルが高く、「真の健常である」と私は思うのです。

見ている方向の根本的な違い・時間軸の非連続
とは、有能な科学者同様、そういうことなのです。
虫の研究者は、自分は虫よりももっと弱いものであるという意識の中にいるからこそ、違う方向から対象物を観察できて、昆虫の不思議や面白さ・厳しい自然界で生きる強さを捉えることができる。

弱者である。という意識の前提で物事を見つめ真剣に観察すること・・・それは、境地に達し得るまでも質の水準を高め、その自助努力よって獲得されたものこそ、
誰の手にも覆すことのできない確固たるものであるでしょう。


「一寸の虫にも五分の魂」









言葉を選んでこのようなことを書いていると、音楽を表現するための意識の在り方、そして実際の作業と、不思議なくらいリンクしてくる。

そして今回の骨盤のように、常に疑問を持ち、学んでいないと手掛かりは掴めない。とつくづく思う。

さらに、実は「考えない時間」というものが、ジストニアにとってたくさんの効果をもたらし、もっとも重要で貴重な「身体の質」を与えてくれるのだ。
ということを逆に知ることになる。

前回の最後に記した、
身体との対話を重ね続けていると、その世界そのものが傲慢になっていく危険性を思う " の、
「それは なぜ?」が分かってきた。

自分から問うのではなく、ただ、身体の中の声を聴く。

それが、「考えない時間」。











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東京都福生市の拙宅(マンション 一室)でピアノ・レッスンとピアノ・レンタルを始めております。

ヤマハグランドピアノ C3A・ヤマハアップライトピアノ U1H
1台ずつ入っているお部屋です。

今のところ暫くは仙台の教室がメインであるため、月に一度の上京の際 となりますが、
ご都合が合って希望される方がいらっしゃれば、ご予約いただきレッスンを行なっています。

また、個人での練習や お友達同士での弾き合い会(2〜4名ほど)、レッスン場をお探しの先生、受験のためや 発表会・コンサート・コンクール等のための練習ピアノが必要な方など、
私の限られた日程と時間帯ではありますが、
レッスンの空き時間・音出し可能時間内であれば、こちらも予めご予約いただき、お部屋をお貸ししております。





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2017年6月23日〜26日
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