究極のフォワードモーションで書いてみました。

無理矢理各小節に収めたもので、不揃いな音符ですみません。(しかもちっさい。)
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あるソナタ第1楽章の冒頭部分ですが、何の曲かお分りでしょうか。









「音楽家のためのアレクサンダー・テクニーク入門」より


『再教育とは、何かをあとから付け加えることではなく、本来のものを回復させることだ』

この"本来のもの"とは、
眠っている洞察力。

"回復"とは、
それを明瞭に、かつ思慮深く導くこと。


これはフォーカルジストニアの改善を目指す人に限って言えることではなく、

日常のストレスを抱えている
人為的・作為的なことにとらわれがち
他人の目が気になる
自己否定感の傾向がある
特定の物事に対しての完璧主義

などの、演奏を取り巻く、あくまでも内的環境の影響(いわゆる神経に関わること)が一要因として(原因ではない!)
病気や身体の不都合が表面化している

と思われる演奏家すべてに言えることであり、
これらがたとえ自分の中に存在していたとしても、それを物ともせず動じない心身を導くことが、この、眠っている(これらによって封じ込められている とでも申しましょうか)洞察力の回復であると考えます。

たとえば人前での緊張は、世間一般にしても自己流にしても、おまじないや儀式、もしくは集中力を湧き上がらせたりして振り払う必要性がある。というような間違った感覚に気づかせてくれるものでもあります。

振り払うどころか、このような繊細な物の感じ方こそ、見方を変えてプラスにしていくものです。
集中力そのものの使い方も間違いであり、その能力とは、全てを熟知した上で選択していく冷静さが、本来の一つとしてあるのではないでしょうか。

そう、まず、見方を変えなければ、選択することの余地すら生まれません。

本来の理性

本来の合理性

実はこれらは、明らかに「不自然だ」と、世間一般に言われている中にこそ潜んでいるのです。


合理性とは 反対の方向へ向かうもの

自分の心身の総体的な使い方を、まったく違う方法で発展させること


カラダに関して、

真逆の視点から、自分の中に既存する概念を崩壊していく。

元を辿って遡っていく。

再構築。

ということは数々書いてきましたので、
今回は楽譜から読み取るそれらを、記してみたいと思います。


先に書いた曲は、実はこちら。

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モーツァルト ピアノソナタ KV.311


16分休符や8分休符の部分には、原曲では音が入っておりますし、実際にはその音をもちろん鳴らしますが、
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要するに、体内で、この刻みを常に密かに次々と受け継がせながら、推進していくのです。

これは、記譜されている休符は休むものではなく、音で埋め尽くされていなければならない、という逆の発想で弾いていくというもの。

ここで重要なのは、何音符を感じるべきか?ということなのですが、
例えば1小節目の和音と4分休符は、次に湧いてくる3,4拍目ソファミファラソファソが16分音符なので、16分刻みで弾き始めます。
絶対に4分音符感覚で鳴らしてはいけません。
次に控えている一番細かい音符を胸に描いて前準備をしてからその中に入っていく、ということです。

原曲7小節目の8分休符も、レ-ん-ラ-ん- ではなく、レレレレララララ もしくは んレレレんラララ と16分刻みを感じながら ソファソファソファミレに入っていきます。

8小節目も、3,4拍目左手に16分音符が来るので同様です。


簡単なところでこのような内容ですが、
これはいわゆる天邪鬼的な素直でない発想と見えるかもしれません。
しかし、やってみると、そこからさらに練習内容が確実に、溢れるように、しかも楽しげに湧いてきます。
冒頭から16小節間の16分音符の受け継ぎ方・流れ方、そしてその後17小節目アウフタクトからの曲想との対比などなど、たくさん!

不自然なもの=不合理なもの
では決してありません。


不合理を許して正当化してしまうような本末転倒の知性と、本当の理性とを混同してはいけない。
信頼できない感覚だけでなく、マインドのないマインドも拒絶しよう。


4分音符は、16分音符が4つ合わさったもの と習ったではありませんか!(笑)。

ここで言う、これこそが信頼できる感覚です。4分音符・4分休符をそのまま弾く・休む という心のない音楽を正当化せず、それを拒絶すべきで、曲作りはすべてここからはじまります。


あなたは最初、(アレクサンダー的な使い方は)不自然だと感じるかもしれない。しかし "不自然" ではなく、"非習慣的" と言うべきで、実際はそのほうが "自然" なのである。



もう一つ、フォワードモーションを取り入れて発展させた違う事例で、非習慣的なトリルの挿入法を。



・・・っと、長くなりましたので、これは次回に♪






あのぉ・・実はぁ・・な話、、この刻みで埋め尽くす楽譜、、、なかなか小節におさまらなくて何っ回も書き直して、

けっこうツラかった。。。

かなり疲れた。。。


だから結局ね、以前もシューマンかなんかの曲で書いたことがあったけど、小節線なんて本来、

要らないんですよ。。。

小節線なんて取っ払え!

息もつかないスピード感も、波打つ漂いも、ブレスのタイミングも、
はじめにリズムがきちんと備わっていれば、

そのための小節線は本来、延々と、いらない!(笑)

そのかわり絶対に必要なアーティキュレーションは、延々と続き繋がり続ける 《スラー》。

あゝ・・・これは本当に実感。。。

・・・というワケでこの譜面に、目にみえぬ長ーーーいスラーを付けて、
どうか眺めてくださいm(_ _)m