ピアノを弾く、手・指に こだわっている間は、フォーカルジストニアの根本的な治癒には繋がりません。それどころか症状の進行を煽る、引き金となってしまいます。

結果として " 指先が反応する " のであり、
手・指をコントロールしようとすることや、「こうあるべき理想のフォーム」を思い描くこと自体すら、危険極まりないと言えます。

この辺りは、十分過ぎるほど思慮深く、
しかし神経質になり過ぎず、
思考を分散し、
気持ちを一歩引いて 心をどこにも置かない。

理想のテクニックを目指すことによって身についてしまった悪習慣のプロセスを断ち切らねばなりません。


健全な魂は健全な肉体に宿る


まずはここからです。


音楽を愛し 真実を受け取る(作品から読み取れる必要なテクニックの習得をはじめとして)ことや、その時々の楽器の性格・置かれた環境を察知する感覚能力。
これらは欲の無い健全な(透明感に満ちた)精神であることと切り離せるものではないと考えたときに、
そこにはエネルギーに溢れた " 生きているカラダ " の実感しかありません。



血液は約4ヶ月以上かけて総入れ替えが行われるのですが、逆をたどれば、4ヶ月前にどんなものを食べ、どんな生活習慣だったか ということが、今の血液の質を作っているとも言える訳です。
さらに神経の修復は数日かかってミリ単位、
骨にいたっては2年以上のサイクルを要します。

末端の、
筋反射、繊細かつ複雑な関節、毛細血管・神経の流れ

たったこれらを想像しただけでも、果てしない自分のカラダへの労りが末端へ巡り巡る、大切さを思わされるのであります。

これらの修復と改善を、まずは目指していくべきなのです。

その時々の弾けないもどかしさ等、過去に縛られているような感情に左右され、患部に執着していることが、筋肉・神経の締め付けを起こす 何物でもない、大変苦痛な自傷行為だと、今となってはそう思うわけです。
治癒に向かいたいならば、それよりももっともっと、目に見えない部分に目を向ける。

神経の修復を願い、良質な睡眠と充分な睡眠時間を得ていく。

血液・体液の流れが自分のカラダを通して音楽の流れと結びついていくことを願い、食事(口に入れるものすべて)の質を向上させていく。

自由で伸びやかな筋膜を願い、冷えを避け 有酸素運動でカラダを温める。

生活の中の嗜好をあえて回避するようなストイック性に自分を置いたり向かわせたりするわけではないですが、
そもそも嗜好に頼ってしまう癖(頼って心身に変化をもたらせようとするような 逃避癖 とでも申しましょうか・・・)自体が消えてゆくようになります。
ゆえに、逆に、嗜好(食)品を楽しむ時に感じる、本来の余裕や喜びが味わえる気がするんですよね。
中身・質の向上です。


カラダが、 " 良い " と言えば、少なくとも間違った方向には行かないです。
カラダの向かう方向が間違っていなければ、精神は安定しはじめます。

治癒していくための「原理」です。

患部にこだわらない ということの所以は、
辿っていけば、飴と鞭で長年自分を支配してきた(笑)私にとっては、壮絶な?こんな内容でありました。


カラダによく生きる ことは、
とても魅力的かつ知的な経験を生みます。

音楽家のジストニアのみならず、音楽(芸術)と向き合う者として、これ以上の宝はないと痛切に感じますし、そんな環境を実現できることは、私ひとりの努力では決して成り立たないことに、感謝して止みません。

しかし、いかなる学びや情報が与えられても、最終的には・・・良いと感じたことを貫く 自身の信念 ・・・かな。




そういえば・・・私にとっての嗜好品と言えば、酒(笑)。
うーん、確かに、逃避とまではいかないけれど、、頑張ったんだから寝る前にこれくらい、解放されたっていいでしょ!的な、自分への甘やかしは、確実に匂いますね。
しかしながら、あの呑助飲兵衛が、今ではちゃんと休肝日を設けられるようになりました。というより、呑まなくても平気になった。さらには、今日は暑かったから、今夜のビールはさぞかし美味かろう♡と思いつつ、あれ?夕べ飲むのを忘れて寝ちゃってる!


ふふふ。

今日は東京にいました。

今夜は・・・




呑むぞ~♪




いや、呑まなくても平気ですよ。

でも、こんな私でも、楽しい時間は必要です♪

ではでは、まずは治療に向かいます。