前回から続きます。
磨きながら、二つの相反する意味が、矛盾なく共存するあり方。
拙い言葉ばかりで恐縮でございますが、ものすごく簡単な例で私が実践することを今後、2つ書いてみたいと思います。
ピアノに向かうシーンと、生活の中の小さなワンシーンから。
まずピアノですが・・・
ごく分かりやすくするために、選曲はどうしましょう?
たとえばこれは、レッスンにも実際に使った曲で、説明し易く(楽譜が書きやすいし)、難易度も低いので、
シューマン 「ユーゲントアルバム」より
にしました。
昔の全音の楽譜では「乱暴な騎士」と訳されていますが、まーまー、そんなことは言わずに、美しく仕上げましょう。
ちなみに、"ユーゲント" とは 若い人 という意味で、
中身としては、後半になってくると、なかなか子どもでは弾きこなせない内的な表現が、難しい。ということで「子どものアルバム」から改名されたのだろう、と想像します。
まずは調性、まずは拍子、標題のイメージからアーティキュレーション、デュナーミクを感じ・・・
ある程度、演奏の基礎ができている方なら、初見で一発。というところでしょう。というより、もう最初っから、すべてを把握しながら弾いていくことは可能。
でもなぜ?・・・
なぜ初めから、記譜されているこれらすべてにそこまで囚われなくてはならないのでしょうか?
作曲者の意図がそこに表れているから?
その想いと情景が、理解できた ということでしょうか??
(このような簡単な曲に限らず、どんな曲でも ですが)
パッと見て感じたあなた独自の解釈が、(正しいか正しくないかではなく)もうすでに、「こうあるべき」で完結してしまっているのです。
「意識を捨てろ」
「からだに任せろ」
「からだに貞くことだ」
今 知らないことを恥ずかしがる必要はない。
知らないからこそ、自分で考える力が生まれる。
分からないこと、できないことを必要以上に恥ずかしがることは、むしろ傲慢であり罪悪。
結論を急ぐな。
善か悪か、イエスかノーかは ゆっくり考えればよい。
少しも慌てることはない。
解剖学者・養老孟司さんは、こうもおっしゃっています。
「初めに効果や目的を設定し、それに向かってやみくもに突進する、すべてが予測可能で緻密に計算すれば思う通りに目的に達せられる、という姿勢は、奢り以外の何者でもない。
何の役に立つのか、立たないのか。そんなことはあとから考えればいい。いや 考えなくてもいいではないか。」
音楽の救いは、考えなくても、必然的に、技術も表現も、自然にあとからついてくる。
音を出してくれるのは、何より私のカラダ。
それでは真逆の思考でもって「削」いで いきます。
あくまで「磨く」ための、数知れずある練習方法の一つ、過程の一つです。
終始一貫して大事にすることは、倍音豊かな美しい音を、常に追求すること。
すべてのアーティキュレーション、拍子、強弱記号、休符、小節線すらも全部外して、これ以上シンプルに仕様がないこのような状態で、
計測されることに囚われないためにテンポ感も一切捨てて、音のみを、
極めて弱音で美しく、極めてレガートに、極めてゆっくり、一つ一つの音色を一様に揃える練習を。
たぶん、
こんな簡単な練習を、なぜそこまで?
とお思いになるでしょう。
ここでは、何の役に立つのか、立たないのか。そんなことは考えなくてもいいことになっています。
5指とも常に鍵盤に触れている感覚を味わいながら離さず、指替えも這うように、打鍵することはせず、指が鍵盤に埋もれていくように。
ここに、最善を尽くします。
これがもっとも美しく響く音だ とカラダが感じ納得し、感動が湧いてくるまで。
耳は、聴いている のではなく、聴こえている。
「天才とは蝶を追っていていつのまにか山の頂上に立っている人のことである。」
by ジョン・スタインベック
この時点で既に、この状態になるのです。
この時のカラダの中身(足先から頭の天辺まで細部に渡りすべて)をディレクションすることまでレッスンでは行っています。実際には、こちらのほうがウェイトは高いです。
この右手から 引き続き、すべて繋げて、同様に左手へ向かいます。
長調短調の別も捨てて、一つ一つの音を長く感じ、羽毛のようなタッチで音色を揃えていきます。
常に、新しいものに 触れているように。
これに和音をつけていきますが、こちらも右手左手ともすべて同様。
右手メロディーだから・左手伴奏だから、中間部はそれの逆、という思考は一切無しにします。
とにかく、左右の手関係なく、響きを一様に、溶け合い、混ざり合うように。
あたかも一本の手にムカデの足が何本も付いてもぞもぞと弾いているようなイメージです。
ゆっくりと、長く響かせる。
"音楽が流れている"
とはこういう感覚のこと・・・。
この感覚をカラダの根底で、栄養としてたっぷりと吸収し、揺るぎないものとして根付いて、それが脈々と流れ続け、循環し、そのような環境が整って初めて、
人それぞれ個性豊かな枝ぶりに、人それぞれの個性あふれる形と色彩の花を咲かせることができる。
本質を輝かせてこそ です。
ここから、芽吹かせ、恥じらうようにつぼみが膨らみ、淡色からの色付けをしていき、グラデーションを描きながら、開花させていきたいと思います。
次回へ続きます。