フォーカルジストニアを発症した時の記憶があまりにも大きな衝撃だったので、過去の自分のステージ経験が頭から抹消されたかのよう。
ピアノの下にもぐり込んで、目の回りが真っ黒になるほど毎日泣き続けたその一年は、私自身、自分がやってきた練習も含め、ピアノ人生・過去をすべて後悔し否定しまくっていたからかもしれないです。
記憶をたどる...
んー、なんか失敗した嫌な記憶しか出てこないんだけど。
史上最悪だったのは高校生の時、お偉い先生方の前で弾いたドビュッシー、グリッサンドで血が出て鍵盤が真っ赤かになったことかな。
あ...何事も教訓♪最悪な出来事は、今の私の中には存在しないですね(笑)
幼稚園生の時は、先生にバシバシ手を叩かれて、こちらも真っ赤っかになって、毎週泣いてお顔も真っ赤っかになっておうちに帰ってたっけ。
小学5年のいつだったか、全校生徒の合唱曲と校歌の伴奏をした時、あれは気持ちが良かった!当時マンモス校だったから1000近い?以上だったかもの人数だったし、優越感もバリバリありました。
誰かに聴いて欲しくて仕方なかった私とピアノ...子どもの頃の音楽の世界観はとてもとても純粋で幸せなもの。
大人になってゆくにつれて、どうして腹黒くこうも汚れていくのか(-o-;)
欲や見栄の塊。
ジストニアになってからの一番はそこに気づいたことかな。
人って、幼い頃の純粋な記憶があるから生きていけるんだ、と思うくらい。
三つ子の魂百までも。
それでもいい記憶がたくさん刻まれているからこそ、私はピアノを愛し、手放したくない一心で、ピアノの下から這い出し...
震えながらも...歩き出したことは確かです。
捨てられなかったものをすべて捨てきって、何もないゼロの子どものような状態から歩き出すことが、私には必要なんだと教えられました。
んーでも、社会という大きな真っ黒い風呂敷が常に襲ってくることは現実に避けられず、まるっきり裸になれる状態はあり得ないのだけど。
ジストニア克服への道の途中、まだまだ一握りのわずかな、いい記憶。
しがらみを捨てた身体で曲を感じ、自分が出している音を他人事のように楽しめて...
目は虚ろ(うつろ)で耳がひらいてる。
自分が弾いてる姿の映像が、頭の片隅に浮かんでる。
運指も映像化されて、先々を導いてくれる。
ちょっとした現実逃避行(笑)
その時の筋感覚にも上手に繋げていって...
ジストニアの私の全身へ、いい記憶を。
大人である今の私をすべて許しながら、尚且つ身体も心も柔らかで自由だった子どものように。
音楽へ向かう心は、いい記憶でいっぱい満たしてあげよう

...
真っ黒や、真っ赤っかの、
お話でした

Android携帯からの投稿