ジストニアのためのレッスンで、
生理学的な観点から「古い脳」について、先生は教えてくださいました。

自分を外へ発信するとき、自分一人の空間にいるとき、誰かと何かを共有しているとき、眠りに入るとき、などなど生活の様々な場面において、この私の中にある「古い脳」の存在を少しでも確かめることを、心がけようと思っています。

いわゆる脳の核の部分を、「古い脳」と、先生はおっしゃいます。

これは、音楽家のための呼び名といっても過言でないと私は思います。
医学的な、ごく一般的な生活レベルにおいての脳内から送られる神経回路とはまた違う、
特別なものの存在
が、音楽家にはあるからです。

私の場合、それは極々小さなものです。
音楽家のくせに、精神は音楽家になりきれていない、それこそ、ごく一般的な生活レベルの向上にウェイトを置いていることからして、名を恥じるべきだとさえ思っているのです。

ジストニアは教えてくれました。

幼少の頃から大脳皮質の部分をフル回転、子どもでありながら感性を押し殺して、おとな顔しなければならなかった生活環境において、古い脳はずっと、悲鳴をあげていたこと。

ピアノは社会からの逃げ場だったことは、
感受性豊かな世界観を生き進む
"子どもらしき子ども"
ではなかった、と大人になった今振り返ります。

無意識に、脳が欲する、ピアノを心から愛している、愛していこうとする自分...やっとやっと認めることができ、私自身が私自身によって、その気持ちを大事に守っていく...

音楽家としての「古い脳」の部分を呼び覚ます...

逆に言えば、大脳皮質で考えたことは、なにひとつ古い脳には通用しない、といってもいいほどではないのか
と思います。

先生からmailで頂いた中の、お言葉のひとつ、

"社会との折り合い"

こんな私が、一番に苦しいことを、先生は解ってくださり、そして
本来在るべき自分の奥深くの脳の姿
を、確認させてくれた言葉なのでした。

まだ始まったばかりの未熟な私ですが、古い脳についての気づきを、これから少しずつ書いていけたらなと思いますラブラブ









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