先日仲間が入院した病院に会いに行った。

何の心の準備もないまま抗がん剤が始まってしまい、無菌室に閉じ込められ、副作用も出ているようでとても辛そうだった。

毎日来てた報告電話やLINEも副作用ので文字を打つのが辛くなり彼のなぜに答えられないまま連絡も途絶えていた。

彼が白血病だとわかった日から、自身の過去の記憶を辿り、彼や彼の彼女との関わりの中で何度も何度も繰り返してる自問自答。



私に何が出来る?

あの時の私はどんなだっただろう。

この数日そんな事ばかり考えてる。

数年前、私も病気の宣告をされ、闘病の経験をした。

治療の説明を受る中で余命も聞き、死に直面する怖さを感じながらも、初めは自分の話であって自分の話ではないような少し遠いような感覚だった。

けどその後すぐに事故で亡くした大切な人のことを思い出してた。

会った数時間後、何の前触れもなく突然起きた事故。

病院から家に戻って来た彼の体は冷たくて、もう二度と話すことも声を聞く事も出来なかった。

私にとってとてつもなく大きかったその出来事は、恐怖心を拭い、自分に起ったその現状をとても冷静に受け止めさせた。

不安はあったけど、まだ気持ちを誰かに伝える時間も残されているし、闘う有余も与えられているし、生きてる事の凄さも実感出来たし、そこに『なぜ』と言う疑問はなく、正直、病気になったのが親兄弟や他の誰かじゃなくて自分でよかった、運がいいくらいに思ってた。

けど何を聞いても動じない私の明るさ、冷静さは、対応していた先生や看護師達にとって異常な違和感を与えてしまっていたようで、後に目にした自身のカルテや入院中の看護記録には、明るさが異常。違和感。本音を出せない性格。緊張が突然切れそう。細心の注意が必要等、心配事の言葉が並んでいた。



振り返ってみると私の感覚は特殊で、闘病の前に十分な覚悟が出来てしまってたのかもしれない。

闘病中も自分の気力を信じて自由好き勝手にやってた。

結果的に今私は生かされてる。

リンパへの転移が確認されていて再発の怖さもあるけど、病気になる前よりもずっと幸せに生きてる。

これが克服というものなら、彼にそれを願っている私は、今、恐怖心でいっぱいの彼らに何を伝え、何をすべきなんだろう。

辛さもわかるし、思う事は溢れる程あるのに、相手の気持ちがわかればわかるほど、何をどう伝えていいのかわからなくなる。



本当はね、色んな事思う。

事故だけじゃない。

何万人もの大切な命が一瞬で消えてしまった震災だってそうだ。

大切な人に、愛する人に、ありがとうの言葉一つも伝えられず起きたたくさんの別れ。

でも私たちに起きた現状には有余がある。

難しい現状に向き合わなければならないけど、痛くても、苦しくても、愛する人の手を握り、あたたかさを感じる事ができるし、気持ちを伝える事も出来るし、闘う時間を与えられてる。

今はすごい辛いと思うけど、苦しいと思うけど、みんながあたなを待ってる。

あなたが苦しめば、あなたを大好きな私たちも一緒に苦しい。

みんなも一緒に闘ってる。

だから頑張り抜いて。

どんなに苦しい状況になっても諦めずに一緒に奇跡を起こそうね。