厚田村☆猫家便り -154ページ目

厚田村☆猫家便り

北の日本海に面した小さな漁村に移住してからの日々

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今年2月中旬、例年よりも厳寒の日が続いていました。
日中でも氷点下の日が幾日も続き、時折ブリザードが襲い、数メートル先も見えなくなるほどです。
そんなある日の夕方、いつものように車庫に作った外猫の冬越し用避難寝床に、カイロと餌を持って行きました。
その頃、そこには6匹が寝起きしており、3匹が夕食時だけ通って来ていました。
喜び勇んで羽毛布団でくるんだ寝床の中から這い出してきた中に、一匹の見知らぬメスの黒猫がいて、当たり前のように擦り寄ってきました。
少しやせて、鼻水も少し流しているものの毛並みは悪くなく、お腹がすいていたとみえ缶詰を少し食べた後、ドライフードを一心不乱に食べ続けました。
初めは、この厳しい時期にさすが捨て猫はしないだろう、何処かの飼い猫が迷い込んだのではと思い、周辺にあたってみることにしました。
すると、2、3日前の早朝、猫を降ろし走り去った車を目撃した漁師の奥さんがいました。
この時期、家猫をこの地に放棄するのは、捨て猫と言うより猫殺しです。
この猫は特定の人には良く慣れ、病院も鈴付きの首輪もブラッシングも極めておとなしく当たり前のように受入れますが、爪きりと他の猫との接触を極端に嫌います。
そんな彼女が多くの猫が居る所に入ったのは、やはり生きようとする本能と、やむにやまれぬ状況だったのでしょう。
色々思いつく名前で呼びかけ、最後に半分ヤケで炭(スミ)ちゃんと呼ぶと何度も振り返りました。
それから彼女は猫家のスミちゃんとして、家の中で越冬組みの他の4匹と、いつも一匹だけ距離を置いて暮らして来ました。
今、その頃から一緒に暮らしたのはトメさんとハッちゃんだけで、後は入れ替わった子猫三匹です。
前よりは少しのびのびと、それでも自らは決して交わろうとはせず、孤高を保って暮らしています。

写真:ほとんどいつも窯場から出ず、「窯場の隅ちゃん」の異名も。たまに周りに他の猫がいない時や熟睡していると、一人遊びをしていたり、日向ぼっこに人に付いて外に出ます。

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厚田から国道を北に向かうと、30分ほどで浜益という隣村があります。(現在は石狩市浜益区)
この道はかなりの山道で、時折山間や谷間から海が望めるだけです。
約30キロほどの道のりの間に、7つのトンネルがあり、4つの小さな集落と2つの漁港があります。
その内の1つ、一番長く新しいトンネルと、安瀬(やそすけ)、濃昼(ごきびる)と言う小さな漁港が厚田村の中にあります。
トンネルはおろか、獣道しか無かった古い時代から、開拓者達はこの地に住み着いていました。
その先人達の生活に思いをめぐらしながら地形を眺めると、改めて目を見張り驚かされるのです。
まさしく、陸の孤島であっただろうと・・・。


写真1:安瀬の浜の上を通る国道より北を望む
写真2、3:濃昼の港。南北を断崖に囲まれ東は迫る山
写真4:山道の途中から濃昼を望む
写真5、6:浜益に入る道。厚田から比べると紅葉もだいぶ進んでいました
写真7:浜益は名前の通り、長い浜が続く地形です。浜益本村手前の毘砂別(びしゃべつ)の浜辺から北を望む

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猫家のボス猫トメさんが引退しました。
あまりの満身創痍の日々。
次の発情期は持ちこたえられないと判断。

トメさんに引退を勧めました。
「その代わり外玄関の寝床でなく、家の中でぬくぬく出来るんだよ、どうする?」

トメさんこの時、確かにうなずいた気がしたのです・・。

発情期が終わり、傷もかさぶたになった、十月初めに去勢手術の予約しました。
モモが逝ってしまった翌日が手術の日でした。
トメさんは、朝早くからモモを探し回っているようで、朝食になかなか戻ってきません。
こちらが少々あせりかけた時、だみ声を響かせ、お腹をすかせて戻ってきました。
嫌いな首輪を付け、ゲージに入れ病院に行くまで絶食です。
その時、再び「ほんとにいいよね」と念押すと、一声「ウンニャア」と言いました。
これは聞かないことにして・・・。
無事トメさんは引退儀式を済ませ、ご隠居さんになりました。


写真1:疲れきって、陽だまりでうたた寝。トメさんが引退を承諾した日・・
写真2、3:手術の日、なぜかすねるトメさん・・
写真5~8:隠居暮らしは楽だけど暇だにゃ~
写真最後:トメさんの宿敵、捨て猫の若い雄(ご近所通称ソックス)が堂々と現れるようになりました