今日は写真もなく、
思い出話を書くだけで
身内の方にしかわからないような内容で、
面白いことは全く書けもないのですが
どうぞ書かせてくださいね。


私が小さい頃、
高知のおばあちゃんのお家に預けられていました。

父も母も東京で忙しく仕事をしていたので、
母の姉(叔母)と母方のばあちゃんと、
私と姉の4人で
高知のばあちゃんの家で暮らしていました。
私はこの頃、まだ幼稚園〜小学生時代で、母のことが恋しい時期でした。

元からポジティブなタイプではなかったし、どうして母に会えないのかと少しやさぐれてもいたと思います。

でも、高知には自然もたくさんあり友達もたくさんできなんといってもみんなが集まるので私の幼少期はとても楽しかったです。

小学生になったばかりの頃は勉強が楽しくいつも学校では1番か2番の成績でした。
それも、勉強に熱心なばあちゃんとその妹の学校の教師だったはっこばちゃんのお陰でした。
おばあちゃんの家からはっこばちゃんの家は田んぼを挟んで50メートルくらいの距離。

いつも、田んぼのあぜ道を通りはっこばちゃんのお家に勉強を習いに行っていました。

はっこばちゃんは、私や姉に対してはとても優しく、はっこばちゃんがおばあちゃんだったらよかったな‥なんて思ったこともあるくらい。

勉強をするときは厳しいけれど、終われば手作りのおやつを出してくれました。

日が暮れて帰るとき、
ばあちゃんのうちにはうちのばあちゃんが懐中電灯を照らして立ち
はっこばちゃんのうちの前にはおばちゃんが懐中電灯を照らして立ち、
怖い思いをしないよう、
私たちがちゃんとたどり着けるよう、
あかりを照らして見守ってくれました。

ばあちゃんの家に着くとばあちゃんはくるりと懐中電灯を回しておばちゃんにサインを送り、その逆の場合はおばちゃんがくるりとサインをおくって。


おばちゃんのお通夜の今日、私はそんなことを思い出していました。2人とも顔を見てさよならできなかったけど、懐中電灯のサインを思い出していました。

昨年、先に天国へ行ったばあちゃんと今頃2人で笑いあっていると良いな。

きっと、おばちゃんはばあちゃんに「新しい元号は「令和」になったんだ」とニコニコしながら伝えているんじゃないかな?
令和についておばちゃん的感想も言いながら。

おばちゃんと最後にあった時、頭がはっきりしてないから、誰かは理解できないかもしれないと言われていたのに
私のこともいとこのR君、Kちゃん、孫のSちゃんのこともちゃんとわかっていて。
実は本当はわかるのにわからないふりをしてるだけじゃないか‥と思ったりもしました。
それくらいユーモアのある人だったから。
またおばちゃんの顔が見たいな。

おばちゃん、ほんとうにお世話になりました。
私の幼少期に楽しい思い出をたくさんくださりありがとうございました。

どうぞ、うちのばあちゃんやおじちゃんと上からサインを送ってくださいね。


奈海