私の家の屋号は「河岸」である。
ご先祖様が舟で米を江戸に運ぶ事を生業にしていたそうだ。
その頃はとても栄えていて裕福だったそうだ。
しかし、よくある話で何代目かの戸主が道楽者で財産を食い潰したと聞いた。
私が物心ついた時は、話しに聞いたような栄華を思わせる物は何も無かった。
只 無駄に大きく古い屋敷と家制度が残っていた。
私は、中学から始めたサッカーに明け暮れていた。
当時も中学生からサッカーを始めるのは後発だったが、「好きこそものの上手なれ」と持ち前の運動神経の良さで、中学3年生の時には、インターハイの県選抜選手に選ばれる程になっていた。
高校は県内でもサッカーが強くて家から通える高校に進学した。
本気で全国大会出場を目指していた。
今までの人生の中で一番 真剣な時だった。
しかし 高校の3年間で全国大会出場の夢は叶わなかった。
私達が戦う地区予選には、当時 サッカー全国大会で2度の優勝を誇る「関東の赤鬼」と呼ばれていた、絶対王者の高校もいたのだ。
この高校には、3年間で一度も勝てなかった。
こうして、私の高校サッカーは終わった。
ここからが、表題の件の話です。
時は流れて、
私は結婚して子供もできた頃、親戚が集まる事があった。
その席で私の話しになり、酔った伯父が「お前もあの時、サッカーであの高校に推薦で行っていればなぁ。」と言った。
私は、伯父の言っている事が理解出来ず詳しく話しを聞いた。
すると、高校進学の時 あの一度も勝てなかった高校から、推薦入学の話しがあったと言うのだ。
しかし その話は私に知らされる事も無く、父が断わったそうだ。
何故 そんな事をしたのか、私は母に聞いた。
始めは黙っていた母も、私が真剣だと気付いたのか、こう話し始めた。
「お父さんが、サッカーにのめり込んでいたお前が、あの高校のサッカー部に入ったら 寮生活だし 今まで以上にのめり込み 大学サッカー、社会人サッカーと、家に帰って来なくなる。」と。
私は小さい頃から、両親や親戚の人達から、お前はこの家の長男だから、跡取りだから、家を継ぐんだよ。と言われていたので、私が家を継ぐのが当然だと思っていた。
寮生活が壁で諦めた、あの高校から必要とされていたのなら挑戦してみたかった。
レギュラーになれた自信もある。
それが済んだら納得して、家を継ぎに帰って来たと思う。
この時 初めて父を恨んでしまった。
私は家制度の被害者だと思い出した始まりだった。
私は仕事に追われる毎日で、何時しかその話しも忘れ、随分時も流れた。
長男に結婚したい人がいると紹介された。とても良い娘さんだった。
両家とも挨拶もすみ結婚に向かって進んでいたが。
家制度の被害者と思っていた私が、長男を家に縛り付けていたようだ。
結局 結婚は破談なった。
そして、長男は家を出ていった。
数年後 違う女性と結婚したらしい。
今は、相手方の姓を名乗っている。
私は取り返しの付かない事をしてしまったのか。
私が父を恨んだ様に、長男も私を恨んでいるだろう。
しかし、この期に及んでもご先祖様に申し訳ないと思っていた。
それと同時に何かの呪縛から解き放たれた様な晴れやかな気持ちでもあった。
ただ1つ気になる事がある。
長男のお嫁さんの実家が代々続く旧家で、その家の一人娘さんらしい。
いずれ その家に入るであろう長男は、そこから始まる家制度を余んじて受け入れるしかないだろう。
私には分かる。
何故なら長男は私の分身なのだから。
次の被害者が二男だと言う事も。
そして、私は何も変わらない。
この家を次に繫ぐ為に生まれて来たと信じている事も。
家制度は明治民法で定められていたらしいが、廃止になって久しい。
私が住む様な田舎では、未だに最小の単位が人では無く家だ。
この様な地方では、家長制度の呪縛は続いている。