今日は長女も~の誕生日。もう11歳。小学5年生です。生まれた日というか、生まれるまでの五日間のことを、昨日、というか先週のことのように覚えています。予定日は3月3日、その年は木曜日した。初産だから遅れると思っていたら、日曜の夜中からお腹が痛み出して、もう眠れない状態に。わたしは
病院ではなく、自然派の助産院で産むつもりでいて、朝になって行ったものの、まだ降りてきていないし、時間がかかりそう と助産師のおばあちゃん先生は、とにかく、あるけ、動け、としか言わないし。無痛なんてとんでもない、辛うじて水中分娩の装備はあったものの、分娩台なんて、フランスのルイ何とかいう王様が赤ちゃんが生まれるところを見たいと言って作らせたもので、不自然だ、という世界。分娩室をけんがくしたら、普通の畳の部屋で、天井から綱がぶら下げてある。大奥のドラマみたい、なんて笑ってましたが、まさか、あれを本当につかうことになるとは。結局そのまま微弱陣痛が続き、三日ほど寝ていないのに、おばあちゃん先生ったら、夜中に、ドライブに行って来いなんて。車の振動で赤ちゃんを下に降ろすのだとか。久留米の成田山の観音様を見て来いと言われたのですが、よく場所がわからないまま、体力が限界で引き返すはめに。夫だって、三日間寝てないわけですから、夜中のドライブは危険すぎました。赤ちゃんもろとも、観音様のところに連れて行かれるところでした。
そして、結局、金曜日のあさ、何とか生まれそう。一旦ウチに帰って、仕事のために睡眠とってた夫を呼んで、到着するまで待っててくれたも~は、さすがだと思いますが、ともかく生まれて一度二度産声をあげたかと思うと、なぜか赤ちゃんと目が合います。本当はかおが背中側を向いているはずなので、目があうはずはないんですけどね。何かおかしいと思っていたら、も~ったら、ハクションとクシャミをしました。これにはわらうしかありません。そして、何事もなかったかのようにすました顔。回旋異常が原因で微弱陣痛になって、時間がかかったのだと思われます。40週を過ぎてからさかごになったり元に戻ったりしていたも~、いらんことうごいてるうちに、産道に、頭が反対のまま入ってしまったのでしょう。しかし、人をこれだけ苦労させて、ケロッとしているところは、夫がICUで目を覚ましたときと全く同じ。似た者親子なのでしょうか。おばあちゃん先生も、夫婦二人で産んだ子やね、と言ってくれました。わたしの父が、おじいちゃんと呼ばれて、渋い顔をして「おじいちゃんじゃないよ」なんて言ってたのはおかしかったですが、1時間もしないうちにもーをだっこして「ジジでちゅよ」
なんて言ってましたけど。
とりあえず、初対面を終わらせて、夫は仕事に行きました。飯塚かどこかに出張だったようです。五日間まともに寝てないのに、車運転して。そりゃあ、そんなせいかつしてたら血管も切れるでしょう。その夜は助産院に泊まって、いわゆる川の字で三人で眠りましたが、も~
ったら、夜中にうんちをしはじめて、これがタール便というらしく、お尻にこびりついて拭き取れない。この子は、どれだけわたしたちを苦労させるのか、先が思いやられました。しかし、11年経てば、も~も立派なおねえちゃん、最近は靴や帽子のさいずでは追い付かれ、ませた口もきくようになってきましたが、いくらおおきくなっても、もーは、わたしたちの赤ちゃんです。目が合ってクシャミをし。夜中にタール便で困らせてくれたも~。
あとどれだけの時間一緒にいられるのかは分からないけれど、家族の絆は永遠です。あれ、こんなこと書いてたら、わたし、もう死ぬみたい。