おはようございます。
植物療法士のkiekoです。


今日は私の心配症について書いてみます。


小休止とはいえ、心配症から解放されている今
わたしが何故心配症なのかについて冷静に考えてみました。


渦中にいる時は冷静になれないので


今のうちに🤭

心配症の種はおそらく祖父母の代まで遡ります。



私の母方の祖父母は6人子供がいたのですが
戦前、戦後でそのうち、なんと4人の子供を
失ったのです。どれほど辛かったことでしょう。
察するに余りあります😞


残ったのは長女と戦後生まれた四女でした。


長女は母の15歳年上の姉、つまりわたしの伯母で
四女は戦後生まれた私の母です。

私の母は丈夫でしたが伯母は身体が弱く
生死の境を彷徨うような病気に
何度もかかり、
祖父母をとても心配させたようです。
伯母は身体の不安から親元を離れることができず、結婚もしませんでした。


長男を生後50日で失ったあとの伯母の誕生だったので、祖父母の伯母に対する、もう絶対失いたくないという気持ちが手に取るようにわかります。


伯母の後に生まれた二男は死産で

次女と三女は戦後二人一緒に

赤痢にかかって亡くなりました。


祖母は子供を失うたびに
線路に飛び込みたいとよく話していたそうです。

伯母がいたからこそなんとか祖父母は生き延びて、
戦後私の母が生まれ、私も生まれることができました。


祖父母は私の誕生をこの上なく喜び

長生きをして良かったと、伯母や母に言っていたそうです☺️✨


でも


祖父母にとっては愛と心配はセットでした。


母がわたしを連れて帰ろうとすると

風邪をひかしたらどうするんだとか、何かと理由をつけてはわたしを置いて帰るように促し


そのままズルズルと


何と4歳まで😱


祖父母と伯母の元で育ったのです。


たくさんの愛と心配を浴びながら。


祖父が自分のことはさておき、まわりの人を思いやる姿や祖母が子や孫を心配してあれやこれやと世話を焼く姿はとても美しく

心配は私にとって愛そのものでした。


祖父母や伯母と過ごした幼いころの思い出は

パステルカラーのような

温かさと優しさに包まれています。

安らぎの中で過ごした4年間を思うと

懐かしくてたまらない気持ちになります。


祖父母や伯母がわたしに植えた愛と心配症の種が

やがてわたしが大人になり、家族を持った時

私が心配していれば大丈夫だという形で芽を出したのかもしれません。🌱


でも


私の心配していれば大丈夫は夫の病気で見事に覆されましたー。


わたしごときが心配しても何も解決しないのですよね。



マイペース過ぎる夫を心配したり🙀


腹を立てたり😡


子供に対しては過保護で🤱


すっかり自分のことが疎かになってしまいました😞


やっぱり自分に集中ですね。


その結果、それが大切な人を守ることになるという言葉をお守りに

自分の面倒をしっかりみます。🤱