じいさんというのは私の祖父ではなくて父のことです。



わたしの娘達がそう呼んでいたのでわたしもつられてそう呼んでました。笑


父はじゃりんこチエのテツのような

頑丈で単純で陽気な人でした。


確かにおじいちゃんよりじいさんの方がしっくりきますね!


小さい頃はとんでもない悪ガキだった
らしく近所のおばさんにランドセルごと
川に投げられたり😱

おばさんがどれだけ父のことで迷惑していたか伝わりますね。笑


祖母は授業参観でもないのに父と一緒に
登校して、後ろから悪さをしないように父を見張っていたのだとか。笑

担任の先生の手には負えなかったようです。



そんな父は頑丈だけが取り得!

わたしが幼い頃はその自慢の強い腕で鉄棒の練習をさせてもらってたんです。

父の腕で前まわりも逆上がりもできるようになりました。💪

晩年は歯が悪く、ブリッジをしていたのですが

邪魔で気に入らないと自分の手でブリッジを引きちぎって、みんなを笑わせました。


蜂に10回刺されても無事だった父、

不死身だと思っていた父でしたが


2021年の1月7日、七草粥の日に

あまりにもあっけなく74年の生涯を閉じました。

とても寒い日でした。

その前日

便秘だから浣腸を買ってきてほしいと父から連絡を受け、薬局に寄ってから実家に向かいました。

父はお腹と腰の痛みを訴えていました。

病院にも行ったようでしたが原因ははっきりしないようでした。

もう一度父を連れて病院に行きたかったのですが
ちょうど木曜日で午後は休診でした。

浣腸したら少し楽になったからもう帰るようにとわたしに促す父。

ちょうどコロナが蔓延している時期だったので、父のことが心配で後ろ髪引かれる思いでしたが

渋々父のもとを離れました。

夜9時に父に電話をかけました。


父はもう一回浣腸したらさらにスッキリして、今から寝るところなのだと言いました。


少しホッとして、明日の朝一緒に病院に行く約束をして電話を切りました。

でも…


それが父との最後の会話になりました。


今も耳元に残って離れない
テツのような低音で太い声。

翌朝わたしが実家に行くと父は亡くなっていました。

死因は心筋梗塞でした。


ショックでした。

わたしは自分を激しく責めました。


何かもっとできることがあったはずだと。


泣き崩れるわたしを救急隊員が慰めてくれました。

僕らも昨日のお父さんの状態で救急車を呼ばれても搬送しなかったかもしれないと。

それでも父が亡くなる前の一日のことを知っているのは私だけ。

父をどうにかできたのは私しかいないのだという責任と父を失った悲しみで押しつぶされそうでした。


父の訃報を聞いて、慌てて東京から帰ってきた妹が泣きながら抱きしめてくれました。

父が葬儀場にいる間、妹と二人でずっと

父のそばにいました。

湯灌の時父の頑丈な腕や足を丁寧に洗いながら涙が溢れて止まりませんでした。

あの頑丈な父が亡くなったなんて、どうしても信じられないし、信じたくない。

それなのに…

わたしが触れている父の腕や足は無情なほど

冷たいのでした。


後編へ続く