どうもお久しぶりです。

久しぶりにこのブログの検索ワードを調べてみたら、よく分からない検索ワードで当ブログに辿り着いていたなと思うのが数件ありました。

例えば、、、

「ブクロ兄さん、アメブロ」、「ブクロ兄さん、ブログ」、「物理tシャツ」などなど。この他にも、僕の個人情報で検索かけているものもあって、若干、怖いです。

それにしても、ブクロ兄さんで検索をかけた人は何者??
この度、私、25歳になりました。

25歳というと、高校生だった頃からすれば、かっこいいお兄さんで,彼女をフェラーリに乗せてぶいぶい言わせているイメージだったのですが、残念ながら、そんな理想的なお兄さん像とは似ても似つかず、抜け毛にビビるどうしようもない25歳です。

思い返して見ると、24歳の誕生日の日は先輩の学振結果発表の日で、無事、通過したため、祝勝会をしており、その途中で、僕の誕生日もサプライズに祝ってもらったのを覚えています。場所はパラゴンでした。

でも正直、研究室の学振ヒストリーが継続されたのを目の当たりにして、誕生日どころではなかったことを今でも強く覚えています。

そんなプレッシャーから始まった24歳でしたが、今年は無事、学振に通過し、研究室セミナーも終え、残すは論文、修論となっており、初詣のおみくじのお告げの「努力すれば叶う」が着実に実現されつつあります。そんな勢いを止めることなく、25歳の一年はこれまで以上に責任を持って研究に邁進して結果を残し、宇宙論業界で少しでも自分の名前を売り込める一年になればと思います。
一つ前の記事に書きましたが、改めて報告させていただきます。

この度、私、日本学術振興会特別研究員DC1(以下、学振)の採用内定を頂きました。
これにより、3年間は毎月の給与と特別研究費をいただいて研究することができます。学振を取ることは大学院生活の目標の一つでしたので、一先ずは嬉しい気持ちが強いです。しかし、未だ予断を許さない状況にあるので、喜びはそこそこに自分の研究と向き合います。

研究室の先輩全員が、学振を持っているという全国的に見ても異常という環境の中にいたので、プレッシャーも大きかったです。また、何より、優秀な先輩方と自分を比べた時、明らかに自分の実力は劣っていると感じるので、過分な評価をうけてしまったというのが正直な感想ですが、採用して頂いた以上、それに伴う責任を噛み締めながら研究に励みたいと思います。

応援してくれている皆様にこの報告ができることを嬉しく思います。
今後とも叱咤激励、よろしくお願いします。

ぶくろ


学振DC1採用されました!
やった。
前の記事から1ヶ月以上空きましたね。

近況としては、最近、ようやく論文を書き始めたということと、明日から少しだけ帰省するということですかね。

論文は英語での執筆も然ることながら、勉強不足がたたって中々うまく書けずに苦戦しています。今月中にはドラフトを書き上げることが目標なので、頑張ります。

あと、最近、溜まっているTSUTAYAポイントで小説を買おうと思っているのですが、『獣の奏者』を買うか、『十二国記』を買おうか迷っています。どっちもアニメは観たんだよなぁ。
ごぶさたしております。

最近,色々あって精神的に辛い日が続いていますが、研究したり夏を楽しんで過ごしています。

この夏の思い出は以下の通り

○ap bank fes @嬬恋村

先輩からチケットを譲ってもらったので、初めて夏フェスというものに参加してきました。ミスチルや小田和正、JUJUなどの生歌を聴けてすごいテンションが上がりました。ちなみに、これに味をしめ、ライブに積極的に参加したいと思って,安室奈美恵の名古屋ドームコンサートチケットに応募したら見事に当選してしまいました。

現在、一緒に行く相手募集中です。

○花火大会@長良川

高校の同級生と岐阜の長良川にて花火大会を見てきました。花火なんて、一人で見たら10分で飽きてしまうタイプで、七夕祭りの花火もすぐに飽きてしまった僕ですが、人と見る花火は楽しかったです。

○夏の学校@福井県

先週まで,天文天体若手夏の学校で福井県に行っていました。研究会も楽しかったけど、やはり一番楽しかったのは、先輩たちと東尋坊に行ってミッション・インポッシブル張りに体を張ったり、バンジージャンプを跳んだことでしょう。

とまぁ、今年の夏の行事はほとんど堪能したので,あとは研究を頑張ろうと思います。ちなみに、これらの行事の様子はfacebookに写真をアップしております。

折角、北海道に来たのだから、食を堪能せずして何を堪能するのか?と思い、寿司屋というのもに行ってみた。もちろん、カウンター席に座った。職人が握っている様子を熱い眼差しで見つめるためである。

何を隠そう、生まれてこのかた回転寿しを含めて寿司屋というものに行った事がない。これまで私の中の『寿司』と言う概念は主に、「SEIYU」あるいは「マックスバリュー」で、午後十時を超えて半額に成ったものを指していた。海外から日本に「SUSHI」を食べに来た外国の方よりも、寿司に対する認識が遅れていたと言わざるを得ない。

そういうわけで、「初めての寿司屋」というのは、さながら「初めてのおつかい」並に緊張した。

とにもかくにも、カウンター席に着席。しかし、ここで実は問題があった。実は、本日、どうもお腹の調子が優れないのである。一言で言えば、腹を下しており、「じゃあ、寿司なんか食べるなよ。」と皆様から突っ込まれそうな、万全とは言えない体調であった。

しかし前述のように、「折角、北海道に来たのだから(以下略)」である。

とにかく、注文をせねば。

「たまご」なんて遊びはいらない(たまご党のみなさますいません。)、最初から全力で行くぜ!ということで「いくら」と「炙りサーモン」、「真鯛ゆず塩」を手始めに注文。

ちなみに皆様が気になるこれらのお値段は1皿2貫入り252円である。もちろん、これまで寿司屋に来た事のない私には、この値段が高いのか安いのか分からない。ちなみに、本マグロ赤身や鹿肉など中級クラスは350円くらいで、大トロやうになど上級クラスは630円程した。

そして待つ事数分、「炙りサーモンが」私の元へやってきた。

ちょっと前に先輩は言った、「SEIYUの寿司は寿司ではない。」と。

では、「本場の寿司はどんなもんじゃい。」と思い、サーモンを口にした私の感想は、「SEIYUの寿司は寿司ではない。」に前面同意である。(SEIYU関係者いたらすいません。)でも、本当に感触が違うのである。違う、全然違う。

そして準備運動が終わった所で「大トロ」を注文。これまでグルメ番組でしかお目にかからない大トロ、皆、口を揃えて「口の中で溶ける」と表現するが、果たしてそのお味は?

・・・・

・・・・

口の中で溶ける意外の表現が見あたらない・・・

そして、今回私の一番の衝撃は、本マグロ赤身である。正直、赤身というと、「マグロの一番安い部位でしょ?」と、スーパーの寿司に入っている赤身を想像していたのだが、全然違った。言ってしまえば、「脂が落ちた大トロ」であり、スーパー赤身とは雲泥の差がある。これは、昨日食べたさばの刺身に匹敵する程の驚きであった。

結果、252円の皿を中心に、計27貫を食した。万全の体調では無い状態なのにである。これが万全の状態だったら、一体、何貫食したのであろうか。ちなみに、スーパーの寿司は32貫が最高であるが、正直、途中から飽きがきた。しかし、寿司屋の寿司は飽きが来ないから不思議である。

気になるお会計は、3900円程度。何度も言うが、これが高いのか安いのか分からない。しかし、今回、貴重な体験をできたので、決して高くない値段だと私は思っている。

おわり。
色々うまくいかなくて心が折れています。

鳥になりたいです。
あれからもう一年が経過したんですか。早いですね。

一週間前の記憶でさえ危うい僕ですが、あの日のことは今でも鮮明に覚えています。

昼ご飯を食べたのが午後2時15分くらいで、たしか学食でラーメンを食べました。その後、購買で、その日発売だった「ちはやふる」と「君に届け」を購入し、学生部屋のPC前で「ちはやふる」を読んでいたときに被災。

3.11前にも余震が何度もあり、震度4くらいのも何度かあったので、揺れ初めは「ちょっと大きめの地震が来たな」と思っていました。しかし、揺れが徐々に激しさを増していき、激しく揺さぶられる椅子に座っていた僕はあたふたと椅子を降り、机の下に潜りました。

「地震が来たら机の下に潜る」

この教えを地震が来たときに実行する人はどのくらい居るでしょうか。ちょっとくらいの地震では、机の下に潜ることは無いと思います。しかし、あの時の地震は、机の下に潜って、机の足に捕まらないと真剣に命がヤバいと思える程のものであり、机の下で足を掴んでいても、机ごと激しく揺さぶられていたので、軽い怪我くらいは覚悟しました。

揺れが収まり、机から出てみると、学生部屋は荒れに荒れていました。

地震が収まった後、学生部屋のある8階から1階まで階段で降り、外に脱出。そこで、今後の指示を待ったり、実家の方へ電話をかけていました。この時、携帯電話がつながらなかったため、公衆電話を利用しました。

外では雪は降ってくるわ、化学棟から煙は出てくるわで慌しい雰囲気になりましたが、大学で乾パンと水の支給を受け取った後、徒歩で自分の部屋まで帰りました。自分の部屋は幸いにも、本が崩れたり、テレビが倒れたり、買ったばかりの砂糖を入れたタッパーがぶちまけられていた程度で、パソコンや本棚は無事でした。

もちろん、ライフラインはすべて使えなかったので、夕方暗くなった部屋でぽつーんとたたずんでいましたが、夕飯を手に入れなければいけないと思い、友人と近くのコンビニに行きました。

コンビニにはもちろん、食材、飲み物、電池類は無く、これまでに見たことが無いくらいに人がたくさんいました。幸いにも、隠されていた親子丼を見つけて購入し、真っ暗の部屋で一人寂しく親子丼を食べ、しばらくは米が食べられなくなることを覚悟して僕の3月11日は終了しました。この時はまだ、津波が来たことを知らず、阪神大震災よりは規模が小さいけど、やや大きめな地震が来たという認識しかありませんでした。

翌日からは、先輩達と連携して食料調達、twitter、ラジオを使った情報収集の日々が数日続きました。

食料確保のためによった避難所の新聞で初めて津波のことを知り、津波前後の比較写真を見て衝撃を受けました。また、マグニチュードも避難所のラジオで知って、ようやく未曾有の大震災の中に自分は今いるんだということを認識しました。

ライフラインの全滅、乾パンだけしか食べられない数日、トイレの水を川に汲みにいく度、相当削られる体力、震災の真っ只中で辛いことは多々ありましたが、そんな中でも先輩方、地域の方々との助け合いがあり、そこに人との絆を強く感じることができました。また、メディアを通して、世界中の方が応援メッセージを出していることを知りました。

震災前には、「そういう応援メッセージで人が励まされるわけはない」と思っていましたが、結構、そういうメッセージは嬉しいものであるということが分かりました。

結局、人は助け合わないと生きていけない。それを学んだのが僕の3.11です。