「怠け数学者の記」(小平邦彦)を読みました。


先日読んだ「僕は算数しかできなかった」に比べると内容が豊富で面白かったです。


とりわけ、小平先生のプリンストン時代の話が非常に面白かったです。僕もプリンストンに憧れているんですが、あれほど自由に研究生活を過ごすことができ、知的刺激をびしびし受ける場所はそうそうないんじゃないでしょうか?


あと、小平先生の考え方で目を引いたのは、「数学的実在の上に物理的実在」があるという考え方です。


アインシュタインが一般相対性理論を考えるに当たり、リーマン幾何学を使用したり、量子力学でも状態を表すのにヒルベルト空間内のベクトルを当てはめることができるなど、物理現象を説明するにあたり、予め数学が用意されているって言っているんですよね。


素粒子の話でもそうで、観測の結果とらえられた素粒子というのも実際に触れたり見たりして認識するのではなく、数学的操作の結果として素粒子は認識されるという立場を取っています。


つまり小平先生は数学を自然現象の言語以上のものとして考えているわけです。


数学は、物理的実在ではなく公理を基にして論理という文法でなりたっているのに対して、物理は観測をもとにして理論を組み立てたり、あるいはある理論が正しいかとどうかを観測に任せることで、その正しさが証明される。


いや、そもそも「実在」って何だ?目の前に存在するものは本当に存在しているのか?


どんどん頭の中がぐちゃぐちゃになる。


何か、数学的実在が物理的実在に先立つのか?それとも逆なのかという問題はどっちでもいい気がしてきた。数学も物理も、実際に行うのは人間であり、どちらも知的ゲームの一種なのではないだろうか?そう考えると、楽しければいいやという気持ちになる。


この本を読んで、色々取りとめのないことを考えてしまったが、のだめが学園祭で千秋のラフマニノフ「ピアノ協奏曲第二番」を聞いたあとに、ピアノを弾きたいという衝動に駆られたかの如く、僕も数学を、そして物理学を勉強しなければという衝動にかられた次第である。