ちょっと多忙を極めまして、お久しぶりとなりましたが、第三回目の旧東海道散策です。
この前の続きから、今回は平塚宿より小田原宿まで走ってみました。
早朝の平塚駅、お天気は薄曇りでベストコンディションですな😁
市街地の一角にある平塚宿の案内図を見つつ、旧道を西へ西へと走ります。
日本橋から数えて7番目となる平塚宿
そもそも宿場の入り口には、江戸側にあるものを江戸見附、京側にあるものを上方(または京方)見附と言って、東西の目標となっていたそうな‥
写真は明治初期の平塚宿江戸見附の写真だそうで、これはかなり貴重‼️
両脇に残っている石垣が時代を感じさせます。
そして、高札場とは当時のお上からのおふれ等を書き記す、掲示板みたいな物だそうです。
陣屋を過ぎ、西の端には京方見附跡
『虚空蔵堂』
大名行列もここで下馬して、最敬礼をしたそ〜な
こんな静かな道をヒタヒタと走ると、土埃の舞う道を旅する博徒を想像し、
『あっしには関わりのないことでござんす』
木枯らし紋次郎の末裔、一気飲みの血が騒ぐ🤣
『化粧坂の一里塚』
全国には化粧坂と名の付く坂が多くあるそうですが、所説色々とあり本当の事は分からないそうです。
大した坂じゃ無かったので、一気飲みも身だしなみを整え走る‼️
ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌😘┘
どんだけぇ〜っ☝️(IKKO風)
東海道松並木の名残り
ん⁇
正面の松の木、倒れかかってるよ‼️
と思ったら、傾いたままそびえ立っていました。
でも、よく倒れずに根を張っているもんですね〜このしぶとく生きる姿‥
うーん、まるで一気飲みのようだ💦
江戸見附跡、ここからが8番目の大磯宿。
大磯には2年前訪れた事があり、この街道をジョギングした事がありました。
→→→富士見ラン
その際、いつかは東海道走ってみたい‥
そんな事を考えていましたが、まさか2年後に再び走っているとは。
国道沿いにポツリとあった『海水浴発祥の地』
明治10年過ぎに、この先の照ヶ崎海岸が日本初の海水浴場だったらしいッス(モヤさま風)
湘南発祥の地、なんて石碑もありましたが割と古いのね。
国道沿いに堂々と立っていた
『鴫立庵(しぎたつあん)』
🤤蕎麦屋じゃないですよ〜
日本三大俳諧道場の一つだそうですが、あっしには関わりの無いことでござんす(マイブーム😆)
大磯宿上方見附跡を過ぎ、目指すは次の小田原へ
日本橋から70㎞、まだまだ先は長い
国道から離れ、敢えて急坂の旧道を通ります。
勝手に命名『一気坂』
以外にここ辛かったんよ、
ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘ハァハァ
三たび国道1号線に出て二宮町
『塩海の名残り』ってなんだろ?
昔ここで海水から塩を作っていたそうですが、名残りとは言うものの橋と袂に看板があるだけでした。
いよいよ小田原市に突入です‼️
国道沿いから相模湾が見え、小田原市街とその先には伊豆半島が望めました。
晴れていれば一望出来そうでしたが、薄っすら霞んで水墨画風、これはこれでいい風景です。
80㎞ポスト通過
秋の風景、地元の小学校では運動会、
ちょうど開会式の真っ最中でした。
さぁ、この川を渡れば小田原市街だ😀
酒匂橋を渡ると‥
分かります?
薄っすらと、霞んで見えるは、富士の山
市街地に入って、ふと足元には小田原市のマンホール。
小田原城の後ろに見える箱根の山と、その先に控える富士山。そして手前には酒匂川の渡し。
なるほど、しっかり小田原感満載ですな☺️
えっさ、ほいさっ🏃♀️
いよいよ9番目の小田原宿
案内板には大正時代の小田原宿江戸見附の写真もありました。さっきの平塚宿・明治初期の写真と比べると、電柱まであります。
この時代に既に電気が通っていたとは吃驚‼️、当時でもだいぶ近代的ですね。
実はここも品川や川崎宿同様、宿場祭りが開催されるようでしたが、1日違い😓
おいらん出張りは❓
って‥まだ言ってる( ̄▽ ̄)あははっ
明日が休みだったら良かったのに残念でした。
そして裏側には、京都まで百五里。
420㎞かぁ‥
京の都はまだまだ遥か彼方ですなぁ😂
本日の散策は20㎞と少々短めでしたが、今日は早めに切り上げ、ここをゆっくりしたかったもので。
立派な銅門を潜り抜け
本日の最終目的地『小田原城』へ
おっと( ̄▽ ̄)
こっちは去年行った名古屋城
こうして今に伝えられる城は、それぞれ名所として観光客で賑わいます。
しかし‥
自称【あまのじゃく】の一気飲みは
小田原駅への途中にこんな石碑
これは昭和16年、旧国鉄時代に鉄道の安全を守る為に犠牲になった駅長を偲ぶ碑との事
そんな昔に想いを馳せ、手を合わせ帰路につく一気飲みでした。
さて、次はいよいよ箱根の山を登ります。
寒くなる前にには、来たいなぁ〜









































