では、オペラを聴くのが初めてという方々から、三度の飯よりオペラ観劇が好きとおっしゃるマニアの方々まで、お楽しみいただけるお話を、時間と能力の許すかぎり、書いて参りたいと思います。




ドン・ジョヴァンニとレポレッロは封建時代の主従関係であり、この劇全体の対立軸のように見えますが、実は台本を良く読むと瓜二つであることが見え隠れします。




どちらも、女好きであり、ともに臆病者です。しかも、背格好まで似ているという設定のはずです。だからこそ、第二幕冒頭で元祖ストーカー女性とも言えるドンナ・エルヴィーラを再度欺く場面で、着せ替えだけで、レポレッロをドン・ジョヴァンニと見間違えさせることが出来るというものです(勿論、舞台設定当時、夜の灯がなかったことも重要ですが・・・)。




モーツァルトのオペラで後期の傑作集であるダ・ポンテ脚本の三部作は、すべてこの着せ替えが物語の鍵となっています。これはダ・ポンテだけの特徴ではなくて、この天才脚本家がヒントを得た当時南イタリアで流行していた大衆演劇の定番のネタだったようです。さらにこの枠組みが喜劇だけに留まらないのは、ヴェルディの傑作「イル・トロヴァトーレ」が証明しています。我が国にも「とりかえばや物語」という平安時代の人気小説があります。




ここで、「背格好と女好きはわかるが、ドンジョヴァンニは臆病ではないのではないか?」と指摘したくなる向きもあるでしょう。実際、これほどの古典となると、演出家によって解釈は様々です。




この物語の端緒となっているドン・ジョヴァンニによる騎士長(ドンナ・アンナの父親)刺殺を、ジョヴァンニ自身がどの程度悔いているか、否、勿論口に出して悔いることはないにせよ、終始心の何処かに引っかかっているかどうかは、作品解釈上、または演出上の重要なポイントです。




「騎士長のことさえ触れなければ、何を言っても構わない」と言うドン・ジョヴァンニは、亡霊として蘇った騎士長との交渉を自分より臆病者である筈のレポレッロにやらせて、それが他愛の無い部下へのいじめと軽く考えようとしますが、埒があかないと気が付いたあとのジョヴァンニのいらだちは極端です。




第二幕冒頭の「とりかえばや」の場面同様、同後半の「墓場」の場面も、天才モーツァルトは、当時としてはやや異例の和音進行で「着せ替え」や「心境の変化」をドライブしています。




前者は、ドン・ジョヴァンニに扮するレポレッロをドンナ・エルヴィラに求愛させるのですが、ドン・ジョヴァンニ自身が求愛の歌(つまりセレナーデもどき)をアフレコする場面。後




者は、騎士長の白い石像が動いたり喋ったりするものだから恐れおののく従者レポレッロを諦め自分自身で「今晩晩餐を行なうが来られるものなら来てみろ」とドン・ジョヴァンニが問いかける場面です




ところで、エドワード・デント博士によると、レポレッロ(Leporello)の語源はラテン語のLepus(=うさぎ)だということです。これは冒頭の「似た者同士の女好き」の根拠になっています。

http://www.bibliotecheoggi.it/1996/19960107201.PDF

http://ameblo.jp/phxs/entry-10708957821.html


http://ameblo.jp/phxs/entry-10588742353.html


http://ameblo.jp/phxs/entry-10592573616.html