またまた、例によっていい加減な「ドン・ジョヴァンニ」分析の続きです。
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「転調」だけではなかった”妙なる調和”~モーツァルト作曲「ドンジョヴァンニ」
さて、3週間ほどまえに、ご縁があって挑戦をさせていただいた「フィガロの結婚」の全幕通しで「男声役」すべて(男性ではない点に注意!)をやらせていただいたのでしたが、
先週末は、ただいま猛特訓中の同じくモーツァルト&ダ・ポンテ組み合わせによる「ドンジョヴァンニ」で同じような貴重な経験をさせていただきました。
「同じような」であって「同じ」ではなかったのは、オケの中でクラリネットの皆さんが全員お休みであったために、クラリネットが入る曲は原則すっとばして通したということです。
この結果、わかったのが、男性5役、女性3役のなかで、ドン・オッターヴィオ(題名役に準強姦未遂されたドンナ・アンナと婚約中だが、犯人の死後も結婚を更に1年待ってくれと言われがっかりする役)とドンナ・エルヴィラ(題名役にフラれた腹いせに新しい恋の邪魔をしたり、悪行を暴いて危機に陥れたりする一方、もう一度結ばれたいという気持ちを断ち切れず、騙され、疎まれる役)の二人には、クラリネットがふんだんに使われていることです。
おかげで、ドン・オッターヴィオ役は、アンサンブルを歌うだけで済みました。
オペラ「ドンジョヴァンニ」は題名役だけでなく8役すべてが歌の量質ともにハードルが高い大きな難役ですが、その中で、エルヴィラとオッターヴィオには特に貴族のボンボンお城ちゃんにありがちな知的魅力の無さというか、能天気さがあり、それを表現するには、木管楽器のなかではクラリネットだという選択をモーツァルトは自然と行なっているのだと考えられます。
クラリネットで前奏が始まるアリアとしては、そのドンジョヴァンニの第二幕のオッターヴィオのアリアもそうですが、更に有名なのは同じくモーツァルトのフィガロの結婚の第二幕のケルビーノのアリア「恋とはどういうものかしら?」です。
出だしがクラリネットではじまり、オーボエに代わり、フルートが加わったところで、歌が始まります。木管楽器の登場の順序はこれしかない。そうでなければ、ケルビーノという同オペラのなかの狂言回しであり、また一説にはドンジョヴァンニの少年時代(役はメゾソプラノ)というキャラクター、恋に悩む振りをしながら、欲望を満たすものとしか女性を観ていない冷酷さまではいかないまでも冷静さ、いたずらっぽさを表現できないのではないでしょうか。
一方、オーボエは全く異なるキャラクターを導入する楽器だと思います。オーボエの主旋律として思い出すのは、交響曲ではチャイコフスキーの「悲愴」の第一主題、シューベルトの「未完成」の第一主題。。。いずれも、人生終わりの日が来たという感じを思わせる内面的で心の襞の複雑さをしっとりと聴かせるものです。
これが、オペラのなかでどのように使われるかと言うと、これまた一番思い出すのは、ヴェルディの(ソプラノ・バリトンの)二重唱のなかで、椿姫第二幕と人気の一位二位を争う、シモン・ボッカネグラ第一幕の題名役とその娘(であることが重唱の後半で判明するという)の二重唱です。
http://www.youtube.com/watch?v=8BVZQtLelns
「貴女は、私ジェノヴァ総督に敵対するグリマルディ家の血のつながった娘ではないというのか?では、いったい誰なんだ?」と問いただすシモンに対して、「実はわたしは孤児(みなしご)でした」とアメリア(実はマリア)が歌い出すイントロが実にオーボエです。
そして極めつけが同じくヴェルディの「ドンカルロ」。
http://www.youtube.com/watch?v=d56XkGs6Q58
同じ、ドンが付いても、ドンジョヴァンニやドンオッターヴィオとはかなり異なるキャラクターです。あらすじは省略しますが、版によって第一幕や第二幕にあらわれる題名役のアリア「フォンテーヌブロー」は、貴族の狩りのための森を洗わず冒頭のホルンのあとは、主人公の暗い心の闇を抉るファゴット、かすかな恋の希望をほのめかせるクラリネット、ガラス細工のような感受性を表すオーボエが、フレーズ毎につぎつぎと現れ、重層感このうえない木管アンサンブルが、テノールの難曲に見事なまでに彩りを添えています。