前回(こちら)のエピソードの続きです。


生きた心地がしない毎日の中で、
ある日、とある本に出会いました。

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この本にはたくさんのリスト項目が提示されており、その時一番苦しんでいた以下のリストを作ってみました。


私の長所と短所
好きなこと、嫌いなこと




そしてここからが重要です。



【それはまずそもそも変えられることなのか?】
【そして、私はそれを変えたいのか?】


例えば生まれ持った性質について

●髪が黒い→基本的には変えられない→悩む必要なし
でも染めれば変えられる→でも私はアジアンビューティーが好きだから変えたくない→私は黒髪で良いんだ!


●目の形→基本的には変えられない→悩む必要なし
でも整形すれば変えられる→でも私はアジアンビューティーになりたいからこの目を活用してむしろ強調したい→私はこの目で良いんだ!


これをやっていくうちに、
そもそも変えられないことに対して悩む必要なんて全くないということや、

変えられるものだとしても、では

そこを変えたところでそれは心地よいのか?

それは自分らしいと言えるのか?

本当にそれを求めているのか?

実は変える必要なんて無いんじゃないのか?それなのに悩むことなのか?

と次々に頭がクリアになり、最終的にその時は


私の悩みは
A, B, C

Aはそもそも生まれ持ったもので変えることは不可能なもの。悩む必要なし!

Bは変えることは可能だが本当に私が求めているものではないから変えなくてよし!
いくら周りに色々言われようと気にする必要なし!

Cは変えられないが、私が大事にしていることではないので、無理に合わせる必要なし。気にする必要なし!


このようにやっていくと、いかに自分が悩む必要のないことに悩んでいたかがわかりました。

むしろバカバカしくなりました。

同時に、目の前のリストに広がる自分が好きなもの、大事にしていることも浮き彫りになりました。それらの単語や言葉はキラキラしていました。それを守っていけばいいんだと気づくことができました。

その日から私は、<意識して>自分の好きな服を着て好きなことをしてやりたいことをやりました。

そして感じました。

ー生きているー


周りがまた比較の言葉を投げかけてきても、関係ありません。

私は私です。私は私の光を放ちました。

「私は〇〇が好きで〇〇を大事にしていて〇〇という考えがある」と自ら発信していきました。

するとだんだんと、彼らの比較の言葉が消えていきました。彼らは、どうでもいい比較の言葉の連続だったのが、いつの間にか将来や仕事に対してなどの真剣な話を私にするようになりました。


ニーバーの祈りには、
有名な一節がありますね。


神よ、与えてください

変えられるものを変える勇気を
変えられないものを受け入れる平静さを
そして両者を見分ける叡智を