言葉は昔から好きで、
同じ単語を
色んな国の言葉で何て言うんだろう?
とか、
このことをどれだけ言葉で表現できるだろう?
とか、
言葉の響きも言葉の持つ力も好きだ。
だから高校も大学も外国語を専攻
そして音声学も専攻した。
韓国語は潤いがある。
聞いていて全く飽きない。
哀しみや切なさを得意とする言語だと思う。
失恋したら韓国の音楽がしっくりくる(笑)
朝鮮王朝時代の言葉も好きだ。
現代とは違うので字幕は必須だが、
その響きは耳に焼きつき真似したくなる(笑)
アラビア語はとことんセクシーだ。
右から始まる流れるような文字の数々、
クルアーン(コーラン)の独特な旋律、
アラブ音楽の微分音はアラビア語そのもののようだ。
とは言っても、たくさんの方言のようなものがあるので、私達が触れるのはだいたいフスハーという正規語のようなものだ。
複雑に展開していく文法規則と文字。
おもしろい。
私たちには馴染みのない、面白い言葉の響きを持つアフリカ部族もいる。
クリック音という舌打ちのようなもの。
これも立派な発音であり現地の人にとっては言葉だ。
人類の歴史として、複雑な調音パターンは脱落し、消滅していくという。
アラビア語のダードという子音も既に変化してしまっている国もある。
それゆえに、アラビア語を話す人のことを「ダードの民族」と呼ぶことがある。
常に変化し、脱落し、消滅しては生まれてくる言葉。
言葉は生きている。
色づき、舞い落ち、分解され、また芽を息吹かせる、葉のように。
