『彼女は日本から来たんだ。入れてあげてくれ』
サウジアラビア人の彼は必死にお願いしていた。
しかしスタッフに虚しく断られる。
なぜって?
私が女性だから。
そう、ここはモスク。
韓国に語学研修に行った時、ひとりのサウジアラビア人男性と仲良くなった。
私がアラビア語で挨拶したからなのか、
クラスで孤立していた彼に明るく話しかけたからなのか、
わからないけれど、
私たちはたちまち仲良くなった。
カフェでアラビア語を教えてもらったり
食事しながらイスラームについて話を聞いたり
彼がお酒や豚を食さないのを見て、
あぁ、本当にムスリムなんだって
思った。
見た目はB-boyみたいだけど、子どもが大好きで優しくて感情表現豊かで、nice guyだった。
韓国に韓国語を学びに来ているのに、
サウジアラビア人から韓国語(と英語)でアラビア語を学び、イスラームの文化に触れる毎日。
日本語は全く通じないけど楽しい。
(もともとアラビア語の授業は受けていたものの、すっかりアラビア語に魅せられた私は、のちに日本の大学に戻ってからさらにアラビア語やアラブの文化の授業を真剣に受け、アラビア文字の簡単な音声学論文も提出することになる)
心が躍った。
ある日、私たちはモスクに行くことになった。
高校時代から憧れていたモスク。
あの時断念したモスク行きが、ついに叶うのだ!!
滞在場所から地下鉄で少し行った所に案内された。
街にはサウジアラビア人がたくさんいて、彼はみんなと友だちのようだ。
わくわくした。
少し歩くと、アラビア語が書かれた大きな壁が現れた。トンネルのようにアーチを描いた壁。
ここをくぐれば、モスクがあるー
高鳴る胸を抑え切れずに一歩一歩進む。
そして現れた、
大きな大きなモスク。
それは本当に美しく、厳かで、青空に光輝いていた。
「こっちに来てごらん!」
彼はモスクの開いた扉の側に立ち、私を呼んだ。
「この先は女性は入れないんだけど、頼んでみるよ。 すみません!」
彼の必死の頼みにも、困りながら厳しい顔をするスタッフ。
「彼女は日本から来たんだ。アラビア語を勉強し、イスラームに興味がある。ぜひ、彼女に中を見せてあげたい。」
「女性はだめなんだ。わかるね?」
スタッフは静かに扉を閉めた。
彼は落胆していた。
私はもう泣きそうになっていた。
だって、宗教っていうのはとても繊細で、信仰というのは難しく、様々な越えられない線があるのはわかっているのに、
彼は私のためにタブーに挑戦してくれた。
それだけでもう十分に私は嬉しくて、満たされていた。
「大丈夫だよ、ありがとう、わたしのために。」
声を絞りだすのがやっとだった。
彼は重い足取りで事務室のようなところに向かった。
「彼女は日本から来ている。イスラームに興味があるんだ。何か彼女に贈れるものは無い?」
「うーん。これがいいだろう」
大事そうに“それ”を持ち外に出た。
向かったのは水道。
「いいかい、これはとても大事なものだ。君にあげる前に、どのようにこれに触れるかを教えるからね。」
彼は、頭やら手やらを清め始めた。
私たちなら何も考えずに手に取るようなものなのに、あぁ、ムスリムはこうして自らを清め、律し、ある覚悟をもってこれに触れるんだ。
「これで終わりだよ。君はまだこの儀式をやっていないからね、これに包んで渡すから、はい、どうぞ。」
ずっしりと重く、何かのパワーを感じた。
帰り道、太陽に照らされた街は相変わらずサウジアラビア人で溢れ、皆笑顔で彼に挨拶していた。
彼は私のことを紹介してくれた。
行き交うアラビア語の中で、私は幸せを噛み締めた。
日本人はイスラームやアラビア語を話す人のことをどう思っているだろう。
連日の武装勢力のニュースに、
危険 謎 争い こわい
といったイメージを抱いてるのではないだろうか。
確かにそういう一面もあるだろう。
でもそれはほんの一部であるということを知ってほしい。
私はあの日、人生で最も忘れられないおもてなしを、彼らから受けたのだ。
あんなに日本人はイスラームを恐怖の対象として見ているのに、彼らは日本人である私を歓迎し、受け入れてくれた。
宗教の決まりで越えられない線はあったけれど、そんなのどうでもいい。
彼らにできるすべてのことを信仰に基づいて真摯にやってくれた。
そして何よりも、サウジアラビア人たちはとても陽気で面倒見が良くて笑顔が素敵だった。
太陽がよく似合う。
あの時 閉められた扉の向こう側を、私は知っている。
見えていたから。
とても厳かで、静寂と神秘の空間だった。
彼は元気だろうか。
これを手に取ると、あの思い出を手に取ったかのような温かい気持ちになる。
私は歓迎されていた。
人種も国籍も宗教も超えて。
