ボーッと座っているだけの、退屈な時間がありました。
仕事中です。
寒いし退屈だしこの時間に色んなこと出来るはずなのに、
仕事という拘束からこの場から離れられません。
誰のために何のためにここにいるの私。
ここにいるメリットは一体何。
と、まるで檻の中にいる自分に苦しくなりました。
. . . 。
お気づきでしょうか、
この思考は私の良くない癖。
この思考では永遠に何も変わらないしHAPPYになれません。
だって、
自分が不幸な理由を探しているだけ
なのですから。
危ない危ない。
そこで私は、あることをして
その時を濃い時間として過ごすことに成功しました。
それは...
“ない” ではなく “ある” に目を向けること
空は青く澄み渡り
雨風しのげる屋根の下
冬という四季の恩恵の寒さに
足元には暖房があり
目の前のポールペンや紙を自由に使え
(今この瞬間にも紙もペンもない子どもたちが世界にはいる)
私には仕事がちゃんとあり
(働けない人が世界にはいる)
着る服があり
食べるものがある
このように争いのない平和な日本という国で
私は今日もここにいることができ
こうして自由に物事を考え、思いを馳せ
また浮かび上がらせる時間があり
ここにいても帰る家がちゃんとあり
目が見えるからあのポスターに描かれた可愛い風船を可愛いと思え、
耳が聞こえるから誰かが私を呼ぶ声が聞こえ、
それから...
私は、とても幸せな気持ちになりました。
これくらい退屈だと思えるような時間がないと、
こんな風に立ち止まって
目の前の“存在”や自分のいる“空間”、
自分のもつ“健康”に気づいたり
感謝したりすることもなかなかできないでしょう。
日常の中で、
5分でもいいのでこのように立ち止まって
自分にあるものに意識を向けてみるのも
とても良いかもしれません。
