📕福岡・八女市で開催された
「五木寛之クロニクル(年代記)70’s 」
1970年代の活動に焦点を当てた
特別企画展で 網羅された作品に
圧倒された。
人気絶頂期での「休筆宣言」や
住まいを京都に移して
龍谷大学で仏教を学ばれた時期のこと。
執筆開始からの膨大な作品群。
会場には P. カザルス「鳥の歌」(スペイン民謡)が
静かに流れていた。




📗記憶にあるこのお顔は

著書「TARIKI(他力)」が

世界同時発売となった当時のポスターだった。

京都・三条烏丸の大きな書店のウインドゥに

掲げられていたのを覚えている。

通りがかりに しばし 見上げていた。






🚃帰途 山陰周りで 余部(あまるべ)で下車。

せっかくなので “夢千代さん“ の 湯村温泉へ。



🚞 あの痛ましい事故のあった「余部鉄橋」は

すっかり近代的に建て替えられ

シースルーエレベーターで登る「天空の駅」になっていた!



強風で この鉄骨が根こそぎ倒れて来て
地上にいる人達を襲ったのだった。





♨️そして…浜坂から内陸へ入っていくと湯村温泉。

ドラマ「夢千代日記」の舞台だった当時

山陰の寂しいイメージだったが

それは私がまだまだ青かったせいで

今、ゆっくり眺めてみると

ジリジリ照りつける太陽の下より

少々日陰の方が心地良く感じられるように

何となく居心地が良かった。



♨️ 昔ながらの山陰の湯の町。









いらっしゃいました❣️

「夢千代さ〜ん お変わりなく〜」

探さなければ見落としてしまいそう。

ひっそり.....こぢんまりと。




🎒ちょっと前でしたが 私の小さな旅でした。