🇨🇳またまた砂漠でして…敦煌空港。
機内から眼下に見えたのは タクラマカン砂漠の
東の橋の方ではないかと。ゴビはもっと北になる。
…降りるには降りたが だだっ広い運動場に
バカでかい体育館が とりあえず建ってるという感じだった。
身体をくねらせて背中で琵琶を弾く「反弾天女像」。
鳴沙山を行く…ユタユタ〜っとラクダに揺られて。
ラクダの背は 温かく ゴツっぽくもなく 急ぎさえ
しなければ 砂漠にぴったりの乗りものだった。
(「アラビアのロレンス」あれは殺気だっていた)
陽関
本格的に砂漠に入っていく。
敦煌の郊外には 西域の玄関口となる陽関と玉門関が
あり ここから西の異域を「西域」(さいいき)と呼んだ。
古代の旅人は 長安の都を出て 河西回廊を 取り敢えず
ここまで来た。
敦煌市内の」露店。
と、お昼のおかずは こんなの。
敦煌を出て トルファンという街へ。
この時は9月 しかも「天山南路」を走っていたのに
吹雪になった。
この辺の女の子は 小さい時丸坊主にする風習が
あるらしい。綺麗な黒髪が生えてくるように。
自慢の娘を大事に育てるお母さんの顔は
どの国も同じ。
バザールで…
パン屋のおじさん。地べたでないだけマシですよ。
エジプトは もう 埃だらけだった。
肉屋。
マトンだと思う。
このお兄さんは 一生懸命 干し葡萄を売っていた。
この地方は葡萄の産地。
私も買ったが 自然乾燥で 大きくて甘い。
ただし 家では熱湯を通してから。
新疆ウイグル自治区の
民家の軒先 というか リビング。
赤ちゃんを寝かしたり食事をしたり。屋根はなかった。
棚には葡萄の房が実っている。
雨が降らない砂漠の地で どうしてこんなに緑の木が
多いのか?
「カレーズ」という 天山山脈からの水脈がこの地下に
脈々とながれている。
水には全く不自由していない。
トルファン郊外の古代遺跡「高昌故城」
三蔵法師(玄奘三蔵)がインドへ行く途中 立ち寄ったと
いわれている。唐(627〜628)の時代は
栄えていたのだろうが 今や 廃墟以外何もない。
痩せたロバ車でひと回りする。
ロバだけでなく土地の人は 大人も子供も痩せていた。
古代廃墟の近くの村の住居 いかにも風通しが良さそうで
日干しレンガでできている。
ここの昼ごはんはこんなもので。
廃墟の遺跡から しばらく行くと 赤土の「火焔山」が
現れる。夏の今の季節は 気温50度になるという。
トルファン〜ウルムチ間 365キロ。
郊外の「天地」という避暑地。天山の標高3300m。
勿論住人はいて カザフスタン共和国🇰🇿とキルギス共和国
🇰🇬のハーフが多い。
羊の毛皮で被せたテントのような家が並んでたが
家を見せてもらってお茶をご馳走になるだけで
3000円というので バカらしくてやめた。