写真家ルッチーこと鶴岡です。






「どうせ」という言葉は怖い。


「どうせ」という一言で

やる気・行動力がなくなる。

立て続けに言われたら

どうする気もなくなる。

自分もそう、相手がいるなら相手もそう。

相手が「それ違うよ」と言っても

その「どうせ」の世界だけが見えてるから

受け取ってもらえない。

そして自分も相手もその

「どうせ」

を叶える手段にしてしまう。






相手からしたら活きるエネルギーを

吸い取られる感じがしてすごく怖い。

立て続けに言われたら

もうどうする気にもなくなる。

その「どうせ」の世界に

引きずり込まれる感じになる。

 
「どうせ私、ダメなヤツ」
 
最初は言われても平気かも知れないけど

何度も出てきたらその場から離れたくなる。






そんな思いを数日前にした。

「どうせ」という言葉が持つ力はすごい。

「どうせ」という言葉は

ものの見方を一つに

決める力がある。






でも、「悪者」ではない。

刃物と同じで使い方次第。

それならいい方に使えばいいじゃないか。






「どうせ私はすばらしい」






心屋の決めゼリフ






写真もそう。

「どうせうまく撮れないし」って

決めてしまうと

「どうしたらうまく撮れるのか」

を考える力、動く力が

自分からなくなる。

「どうせうまく撮れるし」と

決めるとうまく撮るための

エネルギーが湧いてくる。

できるならできるまでやる、と。






一回のシャッターで

ノーファインダーで

ハッとするような

写真が撮れることがある。

でもそれはたまたま。

正しく言うなら

「うまく撮れること”も”ある」。

一発で決めなくてもいい。

自分の納得いくまで撮ってもいい。

追い込んでいいのです。

そうすると撮っているもの、人の

様々な面が見えてくる。

どう切り取るかは撮る人の自由。






うまい写真じゃなくてもいい。

納得した写真を撮って欲しい。






その「うまい」、

誰の「うまい」

ですか?。






あなたの「どうせ」を

私の写真が変えます。






あなたがないと思ってるものが

私の目の前にはあります。






「私は顔が整っていない」

「私は顔が大きい」






いろいろな証拠を自分で集めて

「どうせ私、素敵じゃない」

って本当の自分を隠していませんか?

「どうせ」と言う言葉は

物事の見える面を一つに決めてしまうから。

そもそもその証拠は

本当にあなたの魅力を奪っているのだろうか。






これからも私は

私の目の前にいる素敵なあなたを

写真という形にして

あなたに伝えていきます。






鶴岡でした。


photo by まりこ