「あいつなーんか嫌いだなぁ」って思うことがちょいちょいありました。

そこで思いました。

好きな人っていうのは明確に理由があるのに嫌いな人って案外理由がなかったりするなぁ、と

好きな人に対しては、顔が可愛いとか仕草が可愛い等ありますが、嫌いな人に理由がないときってありませんかね?

そりゃ、めっちゃ叱責されるとか嫌なことされる人に対しては嫌いだなって感情はあるけど、今回はそうじゃない場合の話ね。

 

個人的に思ったのは「自分にできないことをやっている人間」を嫌いになるんじゃねぇかなぁと思いました。これも一つの穴エロンではありますがこれはあくまで感覚で思ったことです。

 

なので以下に根拠に基づいたまた別の説を書いていきます。

 

さて早速、何故「なんとなく」人を嫌いになるのか、

結論「人が人を嫌いになる時、シャドーの投影というものが起きている」

というわけでどういうことなのか説明していきます。

 

人は成長過程の中で自分が不要だと思った自分の部分を「シャドー」というところに切り離して捨てます。

例えば、親に「人のモノを欲しがってんじゃねぇバカヤロー」と怒られたとします。そうすると、子どもはそういう部分が自分の中にあることを否定して、捨て去る。そうすると、捨てられたものがシャドーにたまっていきます。

それを捨てたと思っていても自分の中に本当は捨てきれておらず存在しています。そのシャドーは心の奥底に抑圧されて眠っていますが、ふとした時にそのシャドーは目覚め心のなかで暴れます。

そういうとき、自分が抑圧している部分を、他人が持っているかのような行動が認識され、その人のことが大嫌いになる。

 

まあ単純に考えて、自分が否定したものを持っている人を見て、気持ちよくはないのは分かると思います。この髪型は嫌だなと思って、その髪型を否定したとして、そういう髪型の人とはなんとなく仲良くしたくないですよね。(ちなみに俺はマッシュが超嫌い)

 

実際には、その捨てたはずのシャドーの存在を、他人の中に知覚すると、非常に自分の存在が脅かされるような感じがします。そうすると、その人がその自分のシャドーを持っていることを責めたい気分になってきて、人に攻撃的(嫌悪を抱いたり)になります。

 そのシャドーを他人が実際に持っているかどうかは、関係ありません。「持っているように思える」んです。その人の行動を見て、自分が否定した部分を持っているかのように思い込む、に近いです。

こういうのをプロジェクション、投影、と言います。つまり、自分が抑圧しているものを、他人に投影して、他人がその悪い部分を持っていると思い込み、他人を憎む、嫌いになるということなんですわ。

ここで思いました、自分の中の嫌いな部分を人に投影して、嫌っているだけじゃね?自分は自分のせいで人を嫌っているのではないか?

と

 

俺とかは嫌いな人に対しては特に深く知ろうとします。そうすることで相手の何が嫌いなのか理解することができ、そこを踏まえて付き合うことができるからです。

ということで嫌いな人がもし居たら、自分のシャドーと向き合ってみるといいかもしれません。

「この人嫌い!」とか、「この人が悪い!」と人を責めるよりも、自分が変わること、自分のシャドーと向き合うことを選ぶことによって今よりもストレスがない生活になる...かも