●菅原洋一のWikipediaはこちら。1933年8月21日生まれ-

 

●平松久司のWikipediaはこちら。1935年1月1日- 2021年3月13日没

 

 平松久司先生は早生まれであるから,菅原洋一氏より一学年だけ若い。二人の共通点は国立音楽大卒業であること。しかも,二人は大学の学生寮で寝食を共にしている。このことは,平松久司先生が「くにたち賞」受賞講演で自ら語っている。平松久司先生はどういう青年であったか菅原氏のインタビューでもあればなと思う(徹子の部屋的なもの視聴したこともないのに,こういう言い方はやめておこう。テレビも持ってないしな)。

 

 すべて私の想像であるが,平松久司先生は菅原洋一という超有名人と知己であるなどとはほとんど語らなかったと思う。あまりそういう話をT先生にも話さなかったと想像できる。だから不当な扱い(笑)を受けておられたのではないか。KTが御堂筋パレードでそのパレードの趣旨を汲んで「青い山脈」を演奏した。平松久司先生の選曲と思われる。その理由は,二つある:

(1)「あれは,平松久司先生が唯一知っていた歌謡曲だから」とT先生は平松先生を揶揄するような発言をしている。

(2)T先生は日本のポップスが好きでないと思われる。

 実際,平松先生は歌謡曲をあまり知らなかったかもしれないが,歌謡界の大御所と知り合いであられたということを知っていたら,こういう発言はしないだろう。平松先生はT先生に自分の生い立ちとかも話さなかったのだろう。そういう間柄であったのであろう。