精華女子高校マーチングは昔からずっと完成度が高い。全部藤重佳久先生が一から作り上げてきたようである。軽く私が調べた限り,立ち上げ時からマーチング専任のコーチがいたわけではないようである(???)。しかし,誰かから教えてもらわなければ始められなかったと思う。

 藤重先生はありがたいことに筆まめである。彼のブログに山崎昌平氏に教えてもらったと書いてある。山崎昌平氏は日本ビューグルバンドに居て,アメリカにも留学している。日本ビューグルバンドは広岡徹也氏が創設している。広岡徹也氏は横須賀駐留の米軍のビューグルバンドに触発されたらしい。米国にも研修に出かけている。どんどん情報が広がって行き,山崎氏がアメリカのどの流派に起源を持つのかよくわからなくなった。いずれにしろ,精華女子だけでなく多くのマーチングバンドが山崎氏に教えてもらっているようである。一応,山崎氏は日本ビューグルバンドで学んだとしておこう。山崎氏は関東学院の出身なのかな?

 どこかで,藤重先生は語っていたな。初めて山崎氏に指導を受けた時,あなたのバンドの生徒はどうしてこんなに暗いんだと言われたらしい。このことを契機に,藤重先生は厳しい指導から,生徒自身に考えさせる優しい指導方法に変身できたそうである。藤重先生はマーチングについても研究熱心であったと思う。しかし,大会は初出場からいきなり金賞で,その後も安定的に好成績を維持し続けている。すごいというほかない。

 

 

●藤重佳久氏が彼のブログで語る精華女子のマーチング事始はこちら
 かなり昔の話だが、福岡でのマーチング活動が始まったのはおそらく福岡国体があったときに遡る。この時にいくつかの学校が国体委員会よりマーチングのバンドに指名され、楽器や衣装も揃えてもらい、山崎昌平先生に2年ぐらい前から指導を受けたことがマーチングの始まりだ。

 

●山崎昌平氏の経歴はこちら(「必ず役立つマーチングハンドブック」の著者紹介)。

 一般社団法人日本マーチングバンド協会公認指導員。1966年、大学在学中に日本ビューグルバンドの設立に伴いドラムメジャーとしての活動を開始。米国でのキャンプなどに参加し研鑽を積み、1969年からマーチングの普及活動に従事。国民体育大会、インターハイ、植樹祭、育樹祭などの全国規模で開催される国民行事やユニバーシアード・アジア大会などの国際大会のマーチング、式典、演技関係の指導にあたる。その他、各地で開催されたイベントや自衛隊音楽祭りなどの演出・指導にも携わり、各地で開催される講習会の講師を務めるなど、マーチングの普及推進活動に尽力している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

●日本ビューグルバンドのホームページはこちら

 1966年、関東学院の広岡徹也を中心に、当時としてはあまり知られていなかったヨーロッパのミリタリーバンド、フランス空軍軍楽隊(ビューグルバンド)をモデルとし、マーチングドラムと軍隊ラッパ(ノーピストンビューグル)そしてバトントワリングの編成で、関東学院吹奏楽部(現:関東学院マーチングバンド)・日本大学高等学校吹奏楽部・京浜女子大学付属トランペット鼓隊(現:鎌倉女子大学中等部・高等部マーチングバンド)のOB・OGにより、日本で初めての一般バンドとして発足。

 

●広岡徹也氏の神奈川県民功労者表彰記事(2018)はこちら

 広岡さんは東京藝術大学音楽学部声楽科を卒業後、関東学院中学校高等学校で教職に就き、吹奏楽部を指導。1957年から8年間、県吹奏楽連盟常任理事を務めた。
 人生の転機となったのが横須賀に駐留していたアメリカ海軍の「ビューグルバンド」との出会い。
 当時は座って演奏するのが当たり前の時代。屋外で歩きながら演奏するマーチングバンドに衝撃を受けた。すぐにのめり込み、長期休暇に入るたびアメリカでの講習会に参加。技術を持ち帰り、指導したという。