回想日記 〜いざ、関ヶ原(島津義弘陣跡)〜 | 旅するカメラ

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笹尾山の石田三成陣地から、何はともあれ、まずは島津義弘の陣跡へと向かうのだ!
途中途中で、案内標識が出てるから安心!


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田んぼの横をすり抜け、365号線を横断し、民家へと続く細い道を入って行く。
島津義弘陣地から小西行長陣地や関ヶ原の戦いの開戦地まで1km以内なので歩いて行くことができる。
車で行くのもいいけど、ここはやっぱり思いを馳せながら歩いてまわるのが私はおススメかな。


島津義弘陣跡まで300mの標識を発見。
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少し歩いた先にある標識もまた島津義弘陣跡まで300mって(笑)

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少し歩くと・・・


!!
島津義弘の旗を発見!!

鹿児島以外で見る丸十字の旗はなんだか新鮮だー!

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神社の裏手へ回ると島津義弘の陣跡に到着。

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いやー、この場所へは、いつか絶対に訪れなければと思っていたので感動もひとしお。

関ヶ原の決戦当日はすぐ横の小西行長の陣付近で開戦したのにもかかわらず、
島津義弘は一切合切戦いには参加しなかったっていうんだからすごい。
すぐ近くに司令長官である石田三成も居たと言うのに・・・
実際に歩いてみると本当に近くなんだなーって実感。

まあ、最初は家康の味方につこうとしていたのに、家康の言いつけ通りに伏見城に入ろうとした所を
家康が何を思ってか(言い忘れ? それともわざと?)家臣の鳥居元忠に島津義弘が入城することを告げていなかった為に疑われ伏見城に入城できず、なんだかんだと西軍に入らざるを得なかったのに加え、杭瀬川の夜襲作戦を石田三成が採用しなかった事をすねてしまったからしょうがないのか・・・・

よくもまあ、こんなロケーションで一切兵を動かさなかったんだからそれはそれで凄すぎる。

となりの宇喜田隊が助けを求めて来ても銃を撃って追い返したって言うんだから半端ではない。

関ヶ原以降の島津の事を考えての事か。

戦いが始まる前に、島津義弘は西軍が負けると確信していたんだろうな。
そして天下は徳川に渡ると。
だから、一切西軍には味方しなかったって事だもんね。

まあ、元々豊臣家には忠誠心なんか無かったはずだし、当然と言えば当然か。
逆に豊臣に阻まれて九州制圧できなかった訳だし。





やっぱり、本で読むだけではなく、実際にその場所に立ち、その場所の空気を吸い、
その場所の雰囲気を味わうって言う事は大切なんだなって、改めて思った島津義弘の陣跡。