このお城の記事を書く事を迷った。
豊後府内城。
何故かと言うと・・・
行く事は行った。
写真も撮った。
だが、あまりお城自体の歴史などをあまり勉強して行かなかった為に、
何をどう書いていいのか正直分からないのだ。
大分のお城と言えば岡城
や中津城、臼杵城が思い浮かぶのだが・・・。
と言う訳で後から慌てて調べた次第で(笑)
府内城を築いたのは福原直高と言う人で、豊臣秀吉の家臣だったようだが正直・・・うーむよく分からない。
その後改易となり、竹中半兵衛の子である竹中重利が入封し城を完成させたらしい。
その後も何度か城主が変わった後、松平氏が明治まで10代続いたとの事。
大分と言えば大友宗麟が有名すぎて、ちょっと印象が薄いのか。
とかなんだかんだ言いながらも、いざお城の前に立ってみると想像していたよりも立派な石垣と掘りに感動したりする。
しかし、この豊後府内城はなかなか写真を写すのに手強い城だ。
平城だし、官公庁通りのど真ん中にある為にどこをどうやってもビルが入り込む。
なのでこのお城を写した写真は一番目の写真のアングルに必然的になってしまうのだろう。うーむ。
大手門を撮ろうとしても・・・
むむむ。
向こう側に建つ文化会館が入っちゃうよー。
ええい、こうなればもうヤケだ。
やたらと目立つ大分合同新聞ビルとのコラボレーションで撮ってやる!!
とか、わけの分からん事になってきてしまった(笑)
実はこの日は用事があって大分へやって来たのであまり時間がなかった。
お城の半分だけを駆け足で見てまわり30分と言う短い時間で退去。
無念・・・
と言う訳で5月にちょっと立ち寄ったときの写真を付け足し。
天守台跡。
4重で破風の無い天守がそびえ立っていたらしい・・・。
平城に4重の天守があったのなら相当目立っていたんだろう。
今では周りのビルにすっかり囲まれてしまっているけれど。
廊下橋。
西の丸と山里丸を結ぶ屋根付きの橋。
最近復興された。
なんでも城郭に於いて屋根付きの橋は珍しいとの事。
確かに他では見ないし聞かないな。
そう言えば、向かいの大分県庁にまだ大分国体の「めじろん」の垂れ幕がかかっていた。
もうそろそろ大分国体も終わった頃かな?
「めじろん」の今後が気になる・・・。
意外と可愛くて好きだったゆるキャラなのにな。