2021年もあまり代わり映えしないが収束せずに拡大していると見るべきだろうが状況は悪くなったとも言えない
悪いのは日本の政治的判断と考えておく
世界を見回して各国の政治的判断を云々するほどの知識はないからそれは考えないことにする
またワクチンに関する対応もウイルスに関する対応と基本的には同じ
整理しながら再度まとめてみると
1)ウイルスの専門家は多くない
2)政府、官僚、マスコミ、国民はウイルスの専門家ではない
3)理想的な話で言えば、
「政府は専門家ではないのでウイルスに関する専門家の意見を聞いて国民のために最善の政策を行う」
4)ところが日本で実際に行われているだろうことで言えば、
「政府は専門家ではないので専門家の意見を聞いて、同じく専門家ではない国民に対し、政府自らの利益になるように国民を騙すために専門家を利用する、またそのためマスコミも最大限利用する」
5)特に日本においては、
「マスコミは国民の側に立って、政府の行動を監視する」
という役目を捨てて
「マスコミ自身の利益のために、時には政府の行動を無批判に受け入れる」
6)政府、官僚、マスコミ、国民と信じるべき専門家との関係に関しては、専門家の意見が違った場合、では信じるべき専門家は誰かという問題がある。
専門家ではない「政府、官僚、マスコミ、国民」が専門家を選ぶわけだから、それはどのようにして可能か?という問題が生じる。
7)専門家が実際のデータを使って(情報を可能な限り開示して)説得力ある説明をすれば、信じるべき専門家は誰かを、専門家ではない政府、官僚、マスコミ、国民が自ら判断できるだろうし、それ以外の良い方法はない。
8)今回の例で具体的に言えば、
そもそもウイルスとはどういうものか?
新型コロナウイルスとはどういうものか?
数年間流行していたインフルエンザと言われるものとどう違うか?
インフルエンザの場合、多数の患者が出て、それによる死者も出た。
新型コロナウイルスの場合はインフルエンザの場合となぜ違う対応を取ったのか?
A)まず、政府が信じるべきだと考える専門家を明らかにしこれについて説明する
B)次に新型コロナウイルスの政治的な対応について政府が国民に説明する
実際は未だにそのどちらも十分ではなかった。
情報も開示していないし、要するに隠蔽体質だった。
政府が実際に行ったのは
新型コロナウイルスは脅威であるという強調はあった
しかしそれがインフルエンザの場合と比較してどういう脅威なのかの説明は一切ない
新型コロナウイルスは脅威であり拡大を防ぐために外出自粛すべきであるという政治的対応はあった
ただし外出自粛すべきという理由と数字的な根拠は示していない
にもかかわらず多くに国民がこのような政府による不確かでいい加減な情報を信じていることが個人的に言えば今年も1番の脅威だった。
9)「政府は国民の為になるような政策をしている」ということを多くの国民は信じているが、
実際にはこれは何の根拠もない妄想のようなもの
多くの実例を考えると、例えば政治家は自らの利益を優先して汚職を繰り返してきたが、それはもちろん見つかった人だけの個人的な事情ではなく、人間そのものの本質と考えるべきだろう
個人の利益と他人である国民の利益のどちらを優先するかと考えれば自らの個人の利益を優先するのが普通の人間だと言える
ただし、民主主義的では、個人の利益優先が明るみに出れば、その地位に留まれなくなるので、個人の利益を優先していることがバレないということが前提になる
ドラマのヒーローのように自らの利益より他人の利益を優先するという人が少数だがいるだろうが、多くの人はバレなければ他人の利益より自らの利益を優先すると考えるべき
したがって政府は個人の集合体であって特定の個人が支配していると考えれば「政府は国民の為になるような政策をしている」と考えるより「政府は自らの利益のための政策をしている」と考えた方が自然だ
10)ウイルスのように多くの人が専門家ではない事柄は良い例だが、そういう事例は他にも少なくはない
多くの人が専門家ではない事柄では政府が何を言っても、つまり「ウソも真実のように拡散」される
11)政府が行なっていると推測できるものは「専門家」対策と「マスコミ」対策
細かい点は不明だが「ウイルスに関する専門家」を選んでいる点で対策はできる
「マスコミ」対策はテレビ、新聞など情報操作大好きなマスコミそのものが劣化していて論外なこともあるが、
YouTubeや各種SNSもある程度は言論統制、言論弾圧可能であることが明らかになった
12)その結果
「新型コロナウイルスは脅威であり拡大を防ぐために外出自粛すべき」という政策はある程度の割合で肯定的に信じられている
ウイルスのように多くの人が専門家ではない事柄では「政府は国民の為になるような政策をしている」と盲目的に信じているから
ところが「政府は自らの利益のための政策をしている」のかもしれないと疑って考えればその肯定的判断はゆらぐ