高次元に近づこう | アセンションpro

アセンションpro

アセンションとはなにでしょうか?深く解説を行っています。

高次元意識にて生きる人々

人間はいかに進化しうるか。これは人類すべてに与えられている課題です。
この進化創造を通して、人類は究極の真理「人類即神也」への突入してゆきます。
人類は常に自己の欲望によって支配されている。そして、人間が行動する時、いつもこの欲望と衝動に従って動いているとっても過言ではない。
人間の中に渦巻くこの低次元レベルの意識(欲望と衝動)をいかに浄化し、純化しうるかが、人類一人一人に与えられたテーマ。
進化創造とは、いかに低次元レベルの意識を克服し、高次の意識へと飛翔してゆくかにあります。
だが、こうして言葉で書くことは簡単です、この理をいかにして現実面に現わしてゆくかがキーです。
そのためには、高次の意識とは一体いかなる意識であるのかを
把握できなくてはならない。普通一般に高次元意識と言われると、自分とは全く関係ない世界の人々を想像する。イエス、釈迦、マホメット、聖者、賢者、僧侶、悟った人・・・などでありますが、彼らは、自らの欲望、衝動を厳しい修行によって克服し、人類に自らの生命を捧げることを旨としてきた。自らの生涯をすべて、人々のために尽くすことを念願とし、人類の救済に役立つことを誇りとしている。
そのため、自分の個に関するすべて一切を捨て去ることが、その道に到達するための重要な理と感じていた。
彼らとて、煩悩を揺り動かされ、欲望や衝動行為に陥ることもあるが、自らがそれを固く制していた。その結果、真理の道を極め、常に真理と自由と高次元意識の生き方を人類に示しつつ、自らの生命を人類に捧げ尽くしたのであります。
私達一般の人々は、高次元意識という言葉を耳にする時、即自分たちとは全く異なる超意識の人と解釈してしまいがちです。
だが、果たして我々一般人と全く異なる意識の持ち主なのでしょうか。
答えは否である。我々とどこも変わらぬ全く同じ人間、全く同じ意識を持つ人たちです。
では、どうしてこのようにかけ離れた存在者のように思ってしまうのか。
それは、ただただ自分たちにはそのような生き方が出来ない。
出来るはずがない。たとえそのような生き方をしたいと心から望んでみても、私達にとっては到底不可能なのであるという、絶対なる「NO」という否定想念の答えを自らが導き、引き出してしまっているからである。
確かに低次元意識である欲望、衝動に振り回されて生きている人々は、高次元意識にて生きている人々に対して超特別な意識を抱くことは否めません。
彼らは少しも我々とは異なってはいないが、確かに意識の持ち方が違うのである。
まず第一に、彼らは真理を極めている。そのため、我々と同じ欲望や衝動を、自らの意識でコントロールすることが出来るのである。
一般に欲望や衝動が生じた場合、それらを達成するためにエネルギーは全面的に使われ、消耗してゆくが、彼らはその同じ欲望や衝動を押さえ込み、抑圧するのではなく、その欲望や衝動をもっと高い意識へと転換し、常に自らを磨き高め上げる方向に注意を促してゆくのです。
すなわち、彼らは我々と全くかけ離れた存在者ではなく、その意識の使い方を自らが極めてゆくところに違いがあるのです。
そこに至るまでには、辛抱強く、日々瞬々、自らの感情、思考、想念行為を常に真理と照らし合わせて自らの運命を導いてゆかなければならない。
要するに、高次元意識にて生きる人々と未だ低次元意識にて生きる人々との違いは、真理を知っているか否かの違いである、さらにはその真理をどこまで実際に現実に現わしているか否かの違いで、ただその差が生じているだけなのである。
そしてまた、高次元意識にて生きる人々は、自らの内にある無限なる宝庫(無限なる愛、直観、叡智、能力、健康)を開発し、さらには自らの進化創造を営みつつ、究極の真理「我即神也」へと近づいてゆくのである。
「我即神也」へと至る道は、人類史上極めて重大な役割を担っているのである。
高次元意識に生きる人々が実際に存在している以上、すべての人類は一人残らず、いつか必ず高次元意識へと昇ってゆくのである。
彼らが為すことは、我々もまた後に従って為せるのである。
そしてついには、自らの進化創造を通して、究極の真理「我即神也」
そのものに行き着くのである。
「我即神也」こそ、自分自身についての真理そのものなのである。