輪廻・・本当にあるのでしょうか。
先に読んだ「アヒルと鴨のコインロッカー」でもそのような話が出てきました。
「ブータン人は輪廻を信じているから、蠅すら殺さない。それが自分のおばあちゃんかもしれないから。」
たしか河崎のセリフで、こんな感じのものがあったと思います。
第一部の、戦前から戦争に突入し戦争末期までの一人の少女の物語の中で、、
「防衛隊員となった空襲中でも残るといいます。大丈夫なのでしょうか。
いざとなった時に防空壕は役にたつのでしょうか。」という台詞がありました。
ついに自分が働いていた工場も爆撃の対象となるとなり、
みなと逃げていく時の少女の気持ちとして、書かれていた台詞。
その防衛隊員と、今、現在、いくら安全の限りを尽くしていると言っても、
危険な原発に近付いて放水をしているハイパーレスキューの方の姿が重なり、胸が熱くなりました。
輪廻・・もし本当にあるのなら、戦時中、勇敢であり、
お国の為と死んでいった若者たちの生まれ変わりが、
今また現在においても、危険にさらされた仕事をしていないで欲しいと願います。
第二部 病院に入院している男性が過去の日記を読み、昔を思い出しながらテープに録音している。
自分の子供たちに語りかけるように。
第三部 めぐりめぐって、過去の二人が別の人となって結ばれる。
同じ時代に生まれ、惹かれあいながら、結ばれることのなかった二人が、別の時代で出会い、
またすれ違い、そしてまた出会い結ばれる。なんともドラマチックです。
私は日記をつけていませんが、「記憶」と「記録」が違うことは多々あります。
人は忘れる生き物で、悲しみやつらさも忘れることができるから、生きていけると言います。
忘れたい過去も「記録」として残していたら、それは一生かわることのない悲しみかもしれませんが、
「記憶」だけなら、良い思い出にかわることもあるのでしょうか。
私は今、自分の思いを、言葉として紙に残し始めていますが、果たしてこれは必要なことかと
考えさせられます。
先に読んだ「アヒルと鴨のコインロッカー」でもそのような話が出てきました。
「ブータン人は輪廻を信じているから、蠅すら殺さない。それが自分のおばあちゃんかもしれないから。」
たしか河崎のセリフで、こんな感じのものがあったと思います。
第一部の、戦前から戦争に突入し戦争末期までの一人の少女の物語の中で、、
「防衛隊員となった空襲中でも残るといいます。大丈夫なのでしょうか。
いざとなった時に防空壕は役にたつのでしょうか。」という台詞がありました。
ついに自分が働いていた工場も爆撃の対象となるとなり、
みなと逃げていく時の少女の気持ちとして、書かれていた台詞。
その防衛隊員と、今、現在、いくら安全の限りを尽くしていると言っても、
危険な原発に近付いて放水をしているハイパーレスキューの方の姿が重なり、胸が熱くなりました。
輪廻・・もし本当にあるのなら、戦時中、勇敢であり、
お国の為と死んでいった若者たちの生まれ変わりが、
今また現在においても、危険にさらされた仕事をしていないで欲しいと願います。
第二部 病院に入院している男性が過去の日記を読み、昔を思い出しながらテープに録音している。
自分の子供たちに語りかけるように。
第三部 めぐりめぐって、過去の二人が別の人となって結ばれる。
同じ時代に生まれ、惹かれあいながら、結ばれることのなかった二人が、別の時代で出会い、
またすれ違い、そしてまた出会い結ばれる。なんともドラマチックです。
私は日記をつけていませんが、「記憶」と「記録」が違うことは多々あります。
人は忘れる生き物で、悲しみやつらさも忘れることができるから、生きていけると言います。
忘れたい過去も「記録」として残していたら、それは一生かわることのない悲しみかもしれませんが、
「記憶」だけなら、良い思い出にかわることもあるのでしょうか。
私は今、自分の思いを、言葉として紙に残し始めていますが、果たしてこれは必要なことかと
考えさせられます。