3月11日は、忘れられない日です。
大震災のあった日、いろいろなところでドラマがあった。
スーパーで働いていた私は、お店の混乱の中で奮闘していました。現役でした。
そして翌年の1月に脳梗塞になり右半身麻痺になりました。
あれから8年、それから7年、早いような遅いような月日を過してきました。
災害時に支援ができる人ではなく支援を受ける立場になりました。
杖歩行の右半身麻痺になってみると、避難することも困難だし孤立することもあるだろうと思います。
もしも大地震がおきたら、どうしようか?
家には備蓄した食料と水もある。ろうそくも準備し懐中電灯もある。
携帯をスマホに変えてラインもできるようになった。
それから・・・・・・・・あとは。。。。。
震災に遭われた方のご苦労はまだまだ続いています。
福島の原発なんてまだまだ、
どこかのエライさんが「原発はコントロールされています」なんて言ってオリンピックを誘致したけど、そんなの大うそつきだと思う。
復興オリンピックと言いながら建築資材やら人材を都会にもってきてしまい復興の現場は遅れているそうな。
なんか、変?
パラリンピックの会場はバリアフリーの素敵なところだそうですが、そこへ行くまでの道のりがバリア・バリア。。。。で困難な道のりです。
災害時の障がい者の出来る事、う~~~ん考えようと。
2014年に旅した三陸鉄道
釜石の街の復興現場
釜石の避難階段