明日、4月13日〈土〉は護国寺骨董市に出店致します。
場所:護国寺境内〈当店は階段上ってすぐの場所〉 東京メトロ有楽町線護国寺駅すぐ
時間: 7:00~15:00頃
寄って実店舗の方はお休みとなります。
お時間ございましたら是非、護国寺まで遊びにいらしてください。
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東チベット・カムの中に、タウという小さな町がある。
ゲルク派のゴンパがある以外、特に観光する所があるわけではないのだが、幹線道路沿いにあるので比較的行きやすいチベットの町だ。(成都から所要二日)
以前訪れた際に、ちょっとした御縁があり、こちらのゴンパのケンポラマ(僧院長)やその他数人のラマと知り合いになった。 その中でも特に亡命先のインドのチベット寺院で出家し、チベット本土に戻ってきた一人のラマとは親交を深め友人となった。
その時、僕が日本の東北地方の郷土芸能である鹿踊りの門徒であるという話で盛り上がると、チベット暦のいついつにゴンパでチャム(チベットの仮面舞踊)を行うから観に来いと誘われた。
例年であれば、11月のチベットは積雪も始まり冬の訪れを感じさせ、陸路でしか交通手段のないカム奥地には旅行者にとっては静かで景色に浸れる時期でもある。
教えてもらったチャムの日取りは太陽暦で11月の半ば、スケジュールの都合がついたので、2週間弱のショートトリップで訪れた。
残念ながら現状は中国四川省に管轄されているカム・チベット。例年なら10月に行われる全人代(共産党大会)が、今年は僕の旅行にとってもタイミング悪くちょうど11月の同時期に行われた。
個人旅行者という立場から考えると、通常ならばこちらのスケジュールをずらすのが賢明なのだが、今回はそのお寺でチャムを観るという目的があったので、まず向かってみた。
ここ十数年の間、何度も通っている成都~ダルツェンド(カム・チベットの玄関口)間だが、今回も検問1ヶ所でパスポートコントロールがあっただけで通れた。
しかし、普段と違ったのはダルツェンドのバス停を降りた瞬間からで、いきなり二人組の警察に迎えられた。 そのバスには外国人は僕一人だけで、先の検問所から連絡が来ていたらしく、とりあえず職質が始まった。『ダルツェンドに何しに来た?そして、この後どこに行くんだ?』などなど、お決まりのパターンで「観光です。カンゼに行きます」、『ここから先は道も悪いし、一番良いのはダルツェンドだけ観光して成都に帰る事です。』、「カンゼには何度もいった事あるし、天気も良いし大丈夫だと思うのですが。」、そしたら警察は『你最好是回成都』と言ってくるので、僕は「 到底,你说的意思是你们不让我进去甘孜那边吗?(とどのつまり、あなたたちは僕をカンゼに行かせないようにしているのですか?)」と聞き返すと、『そういう意味ではないけど。。。』とグズグズとなる。
そして、外国人の宿泊許可証を持っている宿にしか泊まってはいけないと、僕を強制的に漢民族経営のバックパッカー宿(ユース)に泊まらせる。
あとで、このユースのドミで知り合ったマレーシア人華僑から聞いた話だと、この時期(全人代)チベット圏だけに限らず、外国人の管理は徹底していて普段なら泊めてくれる宿も(外国人宿泊許可証が無い為)泊めさせてくれないという。 まるで1980年代の中国旅行だ。
とりあえず、ダルツェンドに住む友達(カムパと回族)をそれぞれ訪ねると、ニュースにはならなかったが、数日前に町の中心部で30人規模の小競り合いが起きたばかりだという
。さらにチベット情勢の問題で通信網(インターネットと国際電話)が普段よりさらに規制されているという、またI phoneの所持規制(チベット文字が入力できる為)も実際に行われているようだ。
ちなみに、僕はスマホ2台(I phone とアンドロイド)とチャイナユニコムのポケットwifiを持ち歩いているが、今回もダルツェンドやタウの手前では問題なく通じた。ただし、ギャロンでは国際電話(日本のsim及び、チャイナモバイルのsim共に)は掛けられず、リタンではそれに加え、ポケットwifiも規制されていたようで受信できなかった。 しかしながら、リタンでは泊まった宿にローカルの無線LANが飛んでおり、それを受信してskypeなどで海外とのコンタクトは問題なく行えました。 さらにあらかじめ、有料の第三国vpnに加入しておけば、このエリアでもフェイスブックなどの閲覧は可能です。
ダルツェンドの町で乗合いバンの運転手と話し、「外国人がカンゼ周辺に入域するのを規制しているかもしれないが、それでも大丈夫か?」、『俺に任せておけ』とカムパのドライバー。 最悪タウには行けるだろうと考え、翌朝5時に乗り合いバンに乗り込みカンゼを目指す。7人乗りのバンはもちろん僕以外チベット人で、雪道をぐんぐん走っていく。
ラガン、ガルタルと順調に過ぎ、一安心していたところに目の前にタウの町が現れた。
3ヶ月ぶりの再訪なので、道中も特に不安も感じずリンゴをかじっていたら、タウの本当に目の前の所で武装警官による検問が行われていた。 検問自体は慣れているが、ここではカンゼ方面行のすべての車をチェックしていたので、嫌な予感がし、どうかなと思いながら最初はちょっと車に隠れていたのだが、案の定見つかり、身分証チェックが始まった。
ここから先は外国人は行かせないという。「三か月前に行ったばっかりですけど、何で駄目なの?」と聞いてみる。ライフルを背負った警察は『俺もこれが仕事なんだ。悪く思うな』と返してくる。
今は中国人の身分証にもICチップが埋め込まれており、あの国お得意のコピーなどは不可能だし、でも僕の友人のチベット人には戸籍の無い人もいるわけで、そういう人はどうやって田舎に帰れるんだろう。とか考えて待たされること30分ほどで、タウの警察の外事課担当者が2人やってきた。 何度か経験している中では、感じの良い若いチベット人の男女だったので、交渉の余地あるかなと思い、話してみる。
『ここから先は、雪も降り始め道が悪いので危険だから、行くのは危険だわ。』とチベット人女性の警察。「じゃあ、カンゼはあきらめるので、目の前のタウに数日滞在して帰ります」と言うと『それも危険よ、ここで引き返した方がいいわ』と言われる。「だって、今日めっちゃ天気いいし、雪なんか全く降ってないですよ」と僕。2時間くらい押し問答して、長い道のりを目の前まで来て、「そんな理由で引き返せとは理不尽な。」と思ったけど、この人達も仕事だから仕方ないのかと引き下がることにした。 入域規制のかかっている地域ではないし、もう少しまともな理由を教えてくれれば良いのにそれも出来ない国なんだと思う。 恐らく来年の春までは外国人は危険だから入れられないかもと言われたので、そのチベット人女性と電話番号を交換して、来年は事前に電話確認してきますと答えた。根は優しそうな人だった。
ゴンパに電話をし、そこの友達(僧侶)も残念がってくれたが、来年再訪しますと約束した。
ちょうど、カンゼ方面からタウを通って、ガルタル経由のギャロン行きのバスが検問所を通過したので、それに飛び乗りギャロンの丹巴を目指す。 丹巴には宿で働く友達がいるので、いつものように訪ねていくと(地元の警察と掛け合ってくれたのだが)、外国人宿泊許可のない宿の為、今は止められないという。 この徹底ぶりには驚かされる。 小さな町だと外国人宿泊許可を持つ宿を探すこと自体が大変かつ困難だ。 中国人バックパッカー向けのユースもあるみたいだったが、気分的に今は泊まりたくなかったので、最終的には潜りの宿に泊まった。 ギャロンで燻るのも嫌で、どうしてもチベットの空気を吸いたくて(その数日後が自分の誕生日というのも、そういう気分にさせた)、そこからさらに二日掛けて、リタン周辺を目指すことにした。
チュシガントクで有名な草原地帯のリタンは平均標高が3960mあり、カム・チベットらしい町だ。 多くの中国人旅行者が、リタンを経由してその先の稲城という景勝地に向かう事もあり、さすがにここは行けるだろうと思って向かった。
でも、ダルツェンドからの3か所の検問所ではびっちり調べられた。
挙句の果てに、行きは若い漢民族の軍人に『お前ら日本人は二度と来るな。』と言われたり、帰りはバスの運転手(漢民族)に『お前は日本人か!!。。。。』と罵倒され、3,4発どつかれるという理不尽な被害も受けた。 チベット人が受けている苦痛に対したら、屁でもないし超アウェーの状況だったので、大人な対応で流しましたが、さすがに悔しかった。
リタンには数年ぶりに訪れるので、不安もなかったし旧市街は変わらず雰囲気は良かった。 メイン通りは以前毎日通っていた中華料理屋が潰れていたのが残念だったのと、なぜか彫金・銀細工の工房がたくさん出来ていた。
滞在中、欧米人旅行者も一組見かけたので、とりあえず規制されている感じではなかったけども、やはり町のメイン通りには警察車両や武装した軍隊、パトカーの中から町行く人々を盗撮している警察などはたくさん見かけた。
ゴンパの周りをコルラし、お堂の仏様に向かって五体投地をしてお祈りしていると、門番の僧侶と仲良くなり、いろいろ案内してもらいスンドゥを頂いた。
最後に郊外の大草原でチャトル(鳥葬)を見学し、そこで鳥の羽を拾って帰った。