『旅遊のすすめ 20』女王の谷~ギャロン・チベットを行く~ | 『旅遊のすすめ』~団長のブログ~

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自分なりに気ままにチベットと向き合っています。
上海の田子坊でChagamo Craft という雑貨屋をやっていました。
目黒区自由が丘にチベット仏教美術・諸国民芸雑貨のお店を始めます。http://chagamocraft.ocnk.net/

中国の史書に「東女国」という国の存在が記載されている。 
古代、紀元前から7世紀にかけて西チベットのカイラス山周辺(ンガリ地方)にボン教(黒教)を信仰するシャンシュン王国(チベット・ビルマ語族系)という女王が治める国が存在した。 
 
 この国は後に吐蕃王国(チベット)に滅ぼされるのだが、そのシャンシュン王国の一部の人たちが東に移動し定住したとされるのが、現在の四川省アバ族・チャン族自治州と四川省カンゼ・チベット族自治州にまたがる、丹巴を中心に栄えたギャロン(ギェルモンド)と呼ばれている地域だ。 
 ギャロン(ギェルモンド)とは「女王の谷」という意味で、18世紀に清朝が進攻して制圧されるまでは女王が治めていた女系の王国である。
 定説として玄奘の大唐西域記に出てくる「東女国」はシャンシュン王国を指すが、唐書に記載されている「東女国」はギャロンを指している。
 
 現在、ギャロンはチベット族とされているが、民族的ルーツとしては古代「羌族(チャン族)」の流れを汲んでいるとされ、その他のチベット族(中央チベットのウ・ツァンや東チベットのカム・アムド)とは異なるとされている。
 主な宗教はボン教だが、吐蕃王国の時代にギャロンは一度制圧され、それ以降チベット仏教が入っており、現在はボン教寺院とチベット仏教寺院(ニンマ派)が主に存在している。
 また、このギャロン(女王の谷)は景観の美しさに加え、古くから美人が多いことでも有名で、最近では美人谷とも呼ばれ注目されている。 この地域から美人を輩出し始めたとされる説の一つには、西夏王朝が滅んだ後(13世紀)、皇室の妃たちが寧夏から東女国(ギャロン)に逃れ、そのまま移り住んだ頃からだとも言われている。



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 僕自身はこの東チベット圏のギャロンには以前から興味を持っており、さらに成都からバスに乗って8時間程で辿り着けるという事で訪れる機会を伺っていたが、2008年の四川大地震とチベット騒乱の影響でこの地域へ入境を慎重にならざるを得ない状況が生まれた。
 
 そんな中、最近この美人谷出身だというチベット人の歌手alanが日本で活躍し始め、その存在をテレビなどで観ているうちに、「やはり、女王の谷・ギャロンに行ってその空気を体感し古代ロマンを妄想し、そして、本当に美人が多いのかこの眼で確かめて来なければ!!」という思いに溢れ、女王の谷に向けて旅立った。
 ただ、一抹の不安として「今ではギャロンの美人たちは皆、九寨溝などの観光地に出稼ぎに出払っている。」という噂があった。。 

 
 旅の始まりはいつものように上海に渡った。 いつ訪れても、灰色の空のこの街には不思議な魅力がある。 「魔都」という言葉が非常に当てはまる。
今回はかつての留学仲間やチベットで出会った旅仲間、サーフィン仲間など東京や大阪から、そして上海駐在員の友達などごちゃ混ぜで現地集合し、10人を越える大所帯で週末の上海を過ごした。
 来年に控えた上海万博に向けての大掛かりな工事もそうだし、深夜のクラブやバーでのものすごい勢いの盛り上がり方を体感して思うが、世界的な不況にもめげず魔都『上海』の勢いは本物だ。 

 仲間たちと別れた後、上海から飛行機に乗り西へ3時間、かつての蜀の都、四川省の成都に降り立つ。 ここも日本との時差は上海と同じ1時間(中国全土同じ)だが、実際の感覚としてはもう1,2時間はずらしても良いのではと思う。
 ウイグルや西チベットに行くと、さらにこの時差1時間への疑問を感じてしまうのは僕だけだろうか?
 
 成都では13年前に初めて訪れて以来、定宿にしている交通飯店に宿を決め、さっそく東チベット方面行きの長距離バスターミナルまでチケットを買いに行く。
 かつては、世界各国から屈強な旅人達が集まっていた交通飯店も、今では日本人を含めた外国人の姿は皆無で、景勝地の写真撮影を主な旅行目的としている中国人(大陸沿岸部、香港、台湾からが多い)旅行者の団体ばかりが目立つ。 
 逆に外国人旅行者達の多くは、成都市内にいくつか存在している、英語が通じるユース(青年旅社)に泊まっている。 自分が日本人の少ない時期を選んで旅行しているからかも知れないが、昔と比べ日本人バックパッカーの絶対数は明らかに減っているようだ。


 以前は成都から東チベットの霊峰「四姑娘山(6250m)」近くを通り、ギャロンの中心である丹巴の町を目指す北周りルートがあったのだが、四川大地震の影響でこのルートが未だ不通となっており、遠回りの南回りルート(大渡河を北上する)しかないという。
 10時間ほどで丹巴に着ける直行バスもあったが、まずは体を慣らそう(チベット耐久モードにする)と思い、東チベット・カム地方への玄関口であるダルツェンド(康定)を目指すことにした。
 
 早朝、成都を出発しバスは快調に飛ばす。 徐々に標高を上げ、途中大きなトンネルを越え、8時間ほどでダルツェンドに到着した。 
ちなみに、このトンネル(二郎山トンネル)が開通する前は、成都~ダルツェンドまで車で二日掛かる行程だった。
 ダルツェンドの標高は2500m。 僕がいつも訪れているチベット地域はここからさらに峠を越えた標高4000m以上の世界なので、それと比べると緑もあるし、正直まだまだ下界という感じだが、それでも10月後半で小雨が降ると氷点下近くまで気温が下がるのでかなり寒い。  
 
 ダルツェンドで1泊した後、目的地の丹巴を目指しバスで北上する。
ギャロンは「女王の谷」と呼ばれるように、標高は1900mとそれほど高くない場所にある渓谷に広がる集落だった。
 位置付けとしてはヒマラヤ世界の東端に位置するチベット・カム地方(標高4000m)から、東に山を下った辺りの渓谷にある秘境といったところだ。


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 ギャロンには大渡河沿いの渓谷にいくつかの集落が点在しており、地域一帯に緑もしっかりと根付いている。その谷間の中に石造りの立派な家や高さ20mにも及ぶ石塔が数多くそびえ立って一つの集落を形成している。 石塔に関してはチャン族の特徴とされ、ギャロンの人々がその血を引いているのが垣間見える。(集落によっては石塔が無いところもあり、先に述べた西夏王朝の末裔など、別のルートからやってきたであろう民族も居る)
 
 生業としては村に暮らしている女性は主に農業に従事しているようで、僕が訪れた時期はちょうど種まきの季節(たぶんトウモロコシ)で村人総出で畑を耕していた。 
 食生活はトウモロコシ(挽いてパンの様なものを作る)、唐辛子、牛肉(毛牛)、野菜を主食として、米は買ってくると言う。 ギャロン名産という蒸留酒も飲ませてもらったが、めちゃくちゃアルコールが強い。 またリンゴなどの果物も豊富にあり、チベット地域のツァンパとバター茶だけの味に無関心な食生活と比べると、ギャロンは天国に感じる。
 
 村々の人々もかなり温厚で接しやすく、非常に好感を持った。 巴底(美人谷)のボン教寺院を訪れた時なんかは、寺の僧と話が盛り上がり、普段は人に見せる事は無いという1000年以上前の壁画を見せてもらい、写真まで撮らせてもらった。 その壁画には新聞紙の痕が少し残っており、話を聞くと「文化大革命での破壊から守るために隠していた。」との事。 ちなみにこのお寺の座主は現在も台湾に亡命中だそうだ。



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美人に関しては噂どおり出稼ぎに出ているみたいで、今回は出会えなくて残念だったが、古代よりいくつかの民族が様々な理由でこの地に流れ着き、ひっそり暮らすこの谷はまさしく理想郷かもしれない。 


かつては女王が治めていた国だけあってなのか、食生活も豊かだし。。。

また一つ、チベット世界に魅了された。
   
  
 
 参考文献「チャン族と四川チベット族―中国青蔵高原東部の少数民族」ゆまに書房 松岡正子著