思考錯誤 | シャイニング ジュピター

シャイニング ジュピター

コミュニティ力を司る木星を活かして輝かせていくプロセスを公開していくブログです。

木の花ファミリーでは、「自分の取り扱い説明書」という言葉があり、自分の特性やパターンなどを熟知して、上手に自己コントロールしていくことの指針として、こういった言葉が存在します。
「自分の取り扱い説明書」をまったく把握できていない、そして思考が錯綜してコントロールがおぼつかない今の自分を、正しく修正してもっとみんなの役に立てる人間になりたい、という思いがあります。
そのためにこのブログを、少しずつ自分という人間を紐解いていくための足掛かりにしていこうと思っています。


今年の8月にいさどんに約1時間の面談をしてもらったときに、自分の思考をアウトプットして他者と共有すること、ということが伝えてもらった一番のポイントでした。
自分が抱えている思考がアウトプットされることで心がクリアになり、そこによりよい他者からの知恵を導入できるようになります。
さて、パソコン用語で「インストール」という言葉があります。
それはパソコンの中に使おうとしているソフトウェアを組み込む作業のことをいいますが、パソコンの中に不要なソフトウェアがたくさんあったり、ハードディスクの中に余分なデータがあったりすると、それが正しく行われないこともあります。
そういう意味では、余分な思考を整理・整頓することで、自分の中に神様をインストールしていくことが大切なのかなと思いました。


僕の場合、仕事上の情報交換とかではなく「思い」を伝えようとするときに、単純にはいかないのです。
その「思い」とつながっている色々な思考を、言葉に変換しながら、そして正直さや明瞭さを意識しながら話すという作業が、ときとして非常に面倒でまどろっこしいものになるのです。
だから口頭で話すときは、たわいもないコメントで終わってしまうことも多いと思います。
そういったことがまったく苦にならずに、いくらでもしゃべれる人がいるものですが、やはり心や思考の基本構成が違うのだろうなと思ったりもします。
書いて表現するときは、思考をあっちこっちにめぐらせながら、文章に練り上げるための時間的余裕があるので、ある程度まとまりやすくなります。


木の花に長期滞在中のある男性から、コップの中にビールが半分入っているときに、あなたは「もう半分しかない」と考えるが、私は「まだ半分ある」と考える、と言われたことがあります。
これを聞いてしばらくしてから、無意識のうちにネガティブに思考する癖がついていたと思いました。
思考を存分に活用して、その結果をポジティブに受け取れていれば、そのような癖もできなかったと思いますが、「どうせうまくいかない」という思いの理由づけに余っている思考を先走らせるパターンができてきたのだと思います。
そこで意識的に物事をポジティブに考えようとしたとことがありました。
それはそれでうまくいっていたと思います。
ただ、この世界に起きることの背後には必ず天意・神意というものがあり、それは愛と善と調和なのです。
この天意・神意を感じ取ろうとすれば、自ずとポジティブシンキングになるはずである、という考え方に変化しました。
こういうスタンスで相手の話を聞いているとき、相手は自分の話を受け取ってもらえている、という実感があるのかな、と思います。


さて、思考が散漫になりやすい自分にとって、最も大きな課題のひとつが車の運転です。
初心者ということもあり、運転中のミスを何度もしてきました。
黄色信号で止まらずに赤信号で渡ってしまう、といったこともありました。
こういったことが起きて、ヒヤっとするたびにより注意をこらして、より真剣に運転しよう、と意識して、思考を集中させる感覚が少しずつ安定してきました。
それはそれでいいのですが、こういったミスが起きると、自分の責任だろうか不可抗力だろうか、みんなには知られたくない・報告したくない、ちゃんとやっていたはずなのに、といった様々な思考が同時に湧いてきます。
もともと正直を出すと責められる、という観念が強く、相手が多数だととくに正直を出しにくくなります。
なので安心して出せる相手を探そうとしたりもしますが、善意で受け取ってくれる、ということをもっと信頼していければいいなと思います。
そして信頼するためにも、正直を出していく必要があるのだと思います。


以上